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2011年6月

2011年6月12日 (日)

読書メモ 〜『シブミ』ほか

ドン・ウィンズロウの『サトリ』刊行を受けて、その原案となったこの小説も再刊になったようです。

『シブミ』トレヴェニアン著/菊池光訳
(ハヤカワ文庫 1980年邦訳)

ミュンヘン・オリンピックでのテロ事件の報復を企てるユダヤ人グループ。しかし、計画は事前に察知され、メンバーが射殺される。指令を下したのは、エネルギー関連多国籍企業のコンソーシアムで、CIAをも自由に操る〈マザー・カンパニイ〉。だが、ただ一人、女性メンバーのハンナは生き残り、バスク地方に隠遁する亡き父親の友人に助けを求める。その男の名前はニコライ・ヘル。日本的精神〈シブミ〉を会得した謎の暗殺請負人として、かねてからマークされていた人物だった…。

Shibumi 主人公のニコライ・ヘルは、ドイツ系貴族の血を引き、中国で生まれ、日本の将軍に拾われて、青年期は日本で囲碁の手ほどきを受ける。暗殺者になるまでのヘルの人生が語られる前半は、戦中・戦後の日本が舞台となり、日本的精神とは何かまで掘り下げられる。このトレヴェニアンによる描写や解釈は、まるで日本の代弁者に思えるほどに見事で、ほとんど違和感がない。サムライやニンジャがなぜ世界で今も人気があるのか、案外とそこには自分が思うエキゾチック要素以上に深い理由が存在するのかも。

小説の後半は、バスク地方が舞台。日本が西洋の価値観に毒されてしまったために、ニコライ・ヘルはこの地を永遠の住まいに選んだのだ。おそらくこのバスク地方とバスク人の特徴についても、トレヴェニアンはかなり的確にとらえているに違いない。
さらに、小説にはヘルが趣味としているケイヴィング(洞窟探検)の要素もある。男のロマン、ファンタジーとしての冒険小説のツボをしっかり押さえつつ、文章はひねりや蘊蓄が効いていて、すらすらとは読めないところが良かったです。


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『逝きし世の面影』渡辺京二
(平凡社ライブラリー)

「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊…(文庫カバーより)

Yukishiyono_2 分厚い本の割には、同じような内容が繰り返されているので、途中から飛ばしぎみに読んだのだが、基本的には幕末や明治初期に観察された日本の文明の、誇るべき点が網羅されている。

面白いことに、上記の『シブミ』で主人公のヘルは、日本人の価値観は連合軍の進駐とともに失われたといい、この本で抜粋されている欧米人たちの証言では、開国とともに日本文明とそれが培った心性は死に絶えたとある。でも、このたびの地震・津波災害とその後の対応を見ていると、変わっていないところもかなりあると思いながら読んだ。島国という地理的背景が大きいのだと思うが、脆そうに見えて、そうでもないのではないか。(この本では、失われた文明および心性と民族がもつ特性とは別のものと書かれているが、今もほぼ単一民族の日本でその違いを実感するのは難しい。)

昔も今も共通する良い点は、個人レベルでの社会道徳のようなもの。しかし、むしろ日本人の嘘についてのくだりが印象に残ってしまったので書き出す。

「彼らをまずなやませたのは、十六、七世紀のイエズス会の報告以来、もはや伝説と化した観のある〈日本人の嘘〉であった。日本の商人のイカサマぶりは彼らからすれば言語道断だったが、これは商人のこととて大目に見てもよかった。似たようなことはヨーロッパにもあるからである。オールコックやハリスが許すことができなかったのは幕吏の常習的な〈嘘〉だった。ハリスは『彼らは地上における最大の嘘つき』だと憤慨し、オールコックは『日本人の悪徳の第一にこの嘘という悪徳をかかげたい』と嘆いているほどだ。だがこの問題は主として外交交渉の過程に関わることだから、その検討は後続の巻にゆずることにしよう」

役人が手に負えない嘘つきであるのは昔からで、しかも外交交渉の手段に限らないことが、誰の目にも明らかになってしまった今日です。


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『二度はゆけぬ町の地図』西村賢太
(角川文庫)

中卒で家を出て以来、住み処を転々とし、日当仕事で糊口を凌いでいた17歳の北町貫多に一条の光が射した。夢想の日々と決別し、正式に女性とつきあうことになったのだ。人並みの男女交際をなし得るため、労働意欲に火のついた貫多は、月払いの酒屋の仕事に就く。だが、やがて貫多は店主の好意に反し前借り、遅刻、無断欠勤におよび…。夢想と買淫、逆恨みと後悔の青春の日々を描く私小説集。(文庫カバーより)

Nidohayukenu 少し乗り遅れたけど、話題の芥川賞受賞作家の本を読んでみる気になったのは、いつも拝見している複数のブログで「面白い」と言われていたから。しかし、それ以前に、ちらっと目にした記事でも気になっていた。あちこちで本が売り切れで、とりあえず読めたのはこの短篇集。

とても読みやすい率直な文章。最後に出てくる「浮世とは、他人の耐え難きものを耐えての、果てなき行路のことであったか、と」の言葉が象徴するような内容だ。自分のことを棚に上げて、他人を逆恨みするにいたる心境が自分にはよく分かる。100%逆恨みと分かっていても、やむにやまれぬことがある。それがどんな行動となって表れるかの違いがあるだけだよねえ。


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