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2009年10月

2009年10月31日 (土)

非情な現実を突きつけられる

ドン・ウインズロウは翻訳された最初の2冊を読んだきり。これは今年の翻訳ミステリのベストとの評判が高く読んでみた。

『犬の力』ドン・ウィンズロウ著/東江一紀訳
(角川文庫 2009年邦訳)


メキシコの麻薬撲滅に取り憑かれたDEAの捜査官アート・ケラー。叔父が築くラテンアメリカの麻薬カルテルの後継バレーラ兄弟。高級娼婦への道を歩む美貌の不良学生ノーラに、やがて無慈悲な殺し屋となるヘルズ・キッチン育ちの若者カラン。彼らが好むと好まざるとにかかわらず放り込まれるのは、30年に及ぶ壮絶な麻薬戦争。米国政府、麻薬カルテル、マフィアら様々な組織の思惑が交錯し、物語は疾走を始める…。(文庫裏表紙より)


Powerofdog ずばり、米ソ冷戦以降の「世界の仕組み」がよく分かる小説と言ってしまおう。大国と犯罪組織が結託する陰で、殺されていく人々の命の軽さはありんこ並みだ。ローマ・カトリック教会すらパワーバランスに組み込まれ、その戦争を食い止める権力はもうどこにもない。むしろバチカンの超保守派は、天災や戦争によって貧しい国で大きな被害が出ることを好機と見る…。短いセンテンスでたんたんと綴られていく出来事が、あまりに衝撃的で生々しく(翻訳がうまい!)、フィクションであることを忘れて読みふけった。でも、限りなく現実に近いことが暴かれているのではないかと思う。
エンタメ小説として、最後は落ち着いてほしいと願ったところに落ち着いてくれるのが救い。これは本当に傑作でした!

アンヴィルの物語はまだまだ続く

「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」(2009年 アメリカ)
★★★★☆


Anvil 年に1本くらいか、上映が始まって間もなくから「泣き笑い」が止まらなくなる映画というのがあって、この売れないメタルバンドのドキュメンタリー映画がまさにそれだった。どんな内容かは下の出来のいい予告トレイラーを見れば一目瞭然。出来がよすぎてしまって大いにネタばれもしているが。
http://www.youtube.com/watch?v=iq1KJZvdWcA


ロックミュージシャンの映画というと、イメージするのは不良っぽさ。そして、離婚、知人の裏切り、アルコール・麻薬・女遊びといった放蕩三昧など、大金を手にしたことや、才能が枯渇することへの恐怖などから身を持ち崩していく「負の面」も併せて描くのが常套だが、この映画にはそんなものが一つも出てこない。だって彼らはまだ売れていないんだも〜ん。

15歳頃に一緒にバンドを始めたボーカル&ギターのスティーヴ・“リップス”・クドローと、ドラマーのロブ・ライナーが、50歳になっても変わらず、バンドとして売れる夢を追いかけ、副業をしながらアクションをし続けているというのが、実に清々しい。売れたいと言いつつも、あくまで正攻法に頼る不器用さが泣ける。だから、とても気持ちよく見られるし、夢実現のためにあがいた経験のある人なら誰もが共感する、普遍的なテーマの作品になっている。個人的は、アンヴィル(Anvil)がアメリカのバンドじゃなくて、カナダのバンドなのがいいと思う。

凸凹コンビ風キャラクター、リップスとロブはともにユダヤ系カナダ人で、この2人の固い友情が、実はこの映画の要だ。呆れつつも大きな愛情でもって2人を見守っている家族もまた素晴らしい。そして、ああ日本のオーディエンスたち…。単に祭り好きな人たちもいっぱいいただろうが、その優しさがちょっと誇らしくなったよ。
難点をいえば、エンディングの曲の雰囲気が、映画に合っていないと思えたところ。


この映画を見た後は、当然のように彼らの現況が知りたくなるのだ。10代の頃にアンヴィルの大ファンで、ツアーのローディーを買って出たこともあるというサーシャ・ガヴァシ監督によるこの作品が、バンドにとっての最良のプロモーションとなったことは間違いない。

2009年10月27日 (火)

ライトアップ

職場の引っ越した先が東京タワーの近くなので、退社時は駅まで歩いて15分、毎日ライトアップされたタワーを仰ぎ見ながら帰るのだ。これがなかなかいい。
今のこの時が、何年何十年もたった後で、このランドマークを再び見ることで思い出されると考えると、しみじみとしてくる。未来から自分を眺めている感じが、毎日ライトアップされたタワーを見るたびにする。そうやって想像して楽しんでいるにすぎないが、私の生活の中の唯一の「ほのぼの」タイムではないかと思う。


今日みたいに、雨天で雲が低く垂れこめている日のタワーも面白い。尖塔のほうが煙って見えなくなっていて、その周辺の雲だけがぼーっと明るくなっているのが神秘的。台風の日は流れる雲が、炎のように渦巻いて見えたのが不気味でよかった。


しかし、ライトアップの光の色が、夏は涼しげな白、冬は暖かな黄色が基調になるのは知っていたが、それ以外にも、週末や時間帯などによってライティングの形や色が変わるのだ。今夜は青緑だったし、オリンピック開催都市が決定する前の日は五輪をイメージした色使いになっていた。あまりに頻繁に変わると、テーマパークみたいでちょっとどうかなと思う。

唯一、乳ガン早期発見キャンペーンの日の、全面が紫がかったピンクのライトアップの日は、日常離れした美しさで見とれた。職場から駅まではオフィスがあまりないせいか、いつもは歩いている人もそれほど多くはないのだが、この日は交差点のところに黒々と人だかりがしていて、何かあったのかなと近づいてみると、みんな立ち止まって携帯電話をタワーのほうに掲げて写真を撮っていたのだった。私がその人たちを見物している間に、入れ替わり立ち替わりざっと4、50人はいたかな。

タワーを見るのを忘れて、その人たちを見ていた私は、実はその人たちが羨ましかった。この人たちはそうやって撮った、たわいもない写真を見せる相手がいるんだというのを想像して、振り返り自分はと考えて少しさびしい思いがした。


手ぶれでボケボケの写メール、私も送りつけてみていいすか?


2009年10月22日 (木)

一輝映画2本

Acacia 仕事休んで東京国際映画祭に行ってきた。今日は北村一輝が出演している作品が午前、午後とたまたま続けて上映されたため。てことで北村ファン目線によるメモ。


1本目は「デジタル三人三色2009:ある訪問」
韓国のチョンジュ国際映画祭がお金を出して、韓国、日本、フィリピンの監督に短編を製作させたオムニバス作品。北村さんは、この中の河瀬直美監督の「狛−KOMA」というのに「男」という役名で出演。ストーリーは奈良県のある村に住む女(中村優子)と、祖父の遺品を携えて村を訪れた在日韓国人3世の男(北村)の交流。


河瀬監督の映画は「わけ分からない」とかいうのをよく聞くわけだが(自分は未見)、これは30分くらいの長さなので緊張感が途切れず、テーマもシンプルで分かりやすく、退屈せずに見られた。少なくとも3本の中ではいちばんクオリティが高いと思った。
上映後の監督への質疑応答で分かったのは、シナリオは大筋が書いてあるだけのペラペラなもので、あとは出演者の即興であるということ。人物の背景も演じる人に任せているそうで、自分で膨らませることができる人に出演してもらっていると話していた。そうだろうよそうだろうよ、北村さんは下準備でそれをしっかりやる人だと思う。



2本目はコンペティション部門作品の「ACACIA(アカシア)」
辻仁成の監督/脚本、アントニオ猪木主演。函館の老人ばかりが住む団地を舞台に、元悪役プロレスラーの男と母親に捨てられた少年との出会い、および家族の再生を描いた作品。北村さんは、市役所の福祉課職員の役で、孤独な老人と接するのに腹話術人形を使って心を開かせるという、ふだんはあまり与えられない普通のいい人の役だ。


映画撮影中から情報が入ってきていたわけだが、辻仁成といえば、ある種の先入観に私も侵されていてまったく期待はしていなかった。おまけに出資した会社の経営が危なくなり公開も延期されたらしく、こりゃだめだと思っていたら、今回まさかのコンペティション部門への選出。それでも予告トレイラーを見る限りじゃ、出演者の演技がひどいし、やっぱり期待などこれっぽっちもなかったわけだが、あらら意外にまともな作品ではないの。
まともという言い方は失礼だな…。足りない部分はあるけれど、函館という舞台がよかったし、外国の映画のように映像を楽しめた。監督の外国での生活が、日本の風景の生かし方に個性となって表れたのか。それともスタッフが優秀なのか。猪木も子役も予告で見るより演技が自然だったし、川津祐介が演じる老人のサイドストーリーが面白い効果を発揮していた。彼は保険金のために事故に見せかけて自殺を図ろうと企てたのだろうかと想像した。


そして、この映画も上映後に監督への質疑応答があったのだが、そこで北村ファン的には実にナイスな質問をしてくれた人がいたのだ。腹話術を使う市職員の役はなぜ北村さんだったのかという趣旨の質問。

監督曰く、まず友人である北村に出演してもらうというのは決まっていて、最初のシナリオを見せたところ、北村から「これでは父の息子に対する思いが伝わってこない」と言われたという。そこで監督が考えついたのが、腹話術を取り入れること。撮影までに時間はなかったが、文句をつけた手前、本人も断れないだろうとやらせてみたところ、「専門家の指導で、普通は3年かかる腹話術の技を彼は1週間でマスターしてきた。その後、練習のしすぎで手が動かないと言いつつも、1週間で出演シーンを撮り終えた」と。
さすがに人形の声は若干聞き取れない部分があって、そこだけはあとで吹き替えたそうだが、人形の口元、まばたき、そっぽを向く、うなだれるといった動きを手で操りつつ、演技にもまったく無理がなく、さらに人形をとても可愛らしく見せていて驚いた。役になりきる人、北村伝説がまた一つ生まれたな、とうれしくなった次第。

こちらの映画は来年の春に一般公開が決定。ビデオスルーにならなくてよかった。

2009年10月18日 (日)

〈十字軍の遠征〉ではなく〈フランクの侵略〉

レバノン人ジャーナリストがフランス語で書いた十字軍戦争200年の通史。

『アラブが見た十字軍』アミン・マアルーフ著/牟田口義郎、新川雅子訳
(ちくま学芸文庫)


Photo この本の本章では「十字軍」という言葉は登場せず、アラブ側の呼び名「フランク」で通されている。実際、フランク(西洋人)の侵略は宗教的な動機に限らなかったわけだから、一般的にもこのほうが公平な感じがする。
さて、フランクの侵略が始まった当時、アラブの地中海方面を支配していたセルジューク帝国の内情は、内紛によって日本の戦国時代のような状況。肉親同士で領地拡大をねらって殺し合い、「敵の敵は味方」のごとくフランクと同盟を結ぶ君主までいたのは意外だった。アラブ世界が一枚岩となって聖戦を戦うのは、フランクの侵略から100年後。クルド人のサラーフッディーンがエジプトとシリアを統一してからだ。

やはりサラーフッディーンが登場すると興奮する。父や叔父、弟の功績も大きかったのだな。映画「キングダム・オブ・ヘブン」が、かなり史実に忠実なのも分かった。というかこの本を題材にしているのか。
フランク側では、ドイツ皇帝フリードリヒ1世が侵略者にかかわらずムスリム文化の理解者として好意的に書かれている。それに対してイングランド王リチャード1世は軽薄で、単なる野次馬に扱われているのが面白い。

本の中では歳月がどんどん進み、戦いに次ぐ戦いの印象なのだが、200年にわたる戦争の中では、膠着状態による平安もたびたびある。前線では互いに宴会に招待しあったり、競技を開催して楽しんだらしい。その場合は、大人同士だと支障があるから、子供に格闘技などをやらせたというのがちょっといい話。しかし、これは戦争も後期になってからのことで、初期には、大虐殺のどさくさの中、面白半分に人肉食いするフランク一派までいたという。さすが、自分たち以外は動物同然としか見なさない傾向が今も一部で見られる人種のやりそうなことだ。


ここ何年か、特定の外国で惹かれてしまうのが西アジアだ。すごく興味があるというわけでもないけれど、乾いた気候、遊牧民族の血筋、イスラム教といった、自分の日常にはない要素に満ちている。要するに異国らしさが非常に分かりやすいのがこの地域という、単純な理由からなんだけれど。

で、西洋スタイルが世界標準となっている今日、なぜこの地域が独特の文化を固持しているように見えるのか…。自分はイスラムの戒律のせいだろうくらいにしか思っていなかったが、実は2世紀以上にわたった十字軍との戦いが700年後の今日まで影響を及ぼしていると、最終章において著者は語っている。この章がとても説得力があった。

十字軍以前は、アラブ世界のほうが西洋よりもはるかに進んだ文明を持っていた。ところが十字軍以降は、勝利したのがアラブ世界なのにもかかわらず文明の中心は西洋に移ってしまう。なぜなら、この長き戦争において、侵略した側は、征服した民の言語を学び、その著書からさまざまな知識を吸収し、技術を真似て、その後発展させていったのに対し、征服された側は、相手の言語を学ぶことなど妥協や裏切りでしかないと無視し、排他的な性格を強めてしまうからだ。この心情は人間として理解できる。


 西ヨーロッパにとって、十字軍時代が真の経済的・文化的革命の糸口であったのに対し、オリエントにおいては、これらの聖戦は衰退と反開化主義の長い世紀に通じてしまう。四方から攻められて、ムスリム世界はちぢみあがり、過度に敏感に、守勢的に、狭量に、非生産的になるのだが、このような態度は世界的規模の発展が続くにつれて一層ひどくなり、発展から疎外されていると思いこむ。
 以来、進歩とは相手側のものになる。近代化も他人のものだ。西洋の象徴である近代化を拒絶して、その文化的・宗教的アイデンティティを確立せよというのか。それとも反対に、自分のアイデンティティを失う危険を冒しても、近代化の道を断固として歩むべきか。イランも、トルコも、またアラブ世界も、このジレンマの解決に成功していない。そのために今日でも、上からの西洋化という局面と、まったく排他的で極端な教条主義という局面とのあいだに、しばしば急激な交代が続いて見られるのである。


4年前の旅行で訪れた場所がいっぱい出てきたのが楽しかった。これはレバノン・トリポリの「サンジル城塞」にあった百合の花の紋。
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2009年10月15日 (木)

ジーンズが格安で誰が喜ぶの?

今朝のテレビのワイドショーで不愉快だったのが、業界最安値ジーンズの話題と、それに対するレポーターたちのはしゃぎっぷり。
いったい生活の中でジーンズがどれほど重要だというのか。簡単に消耗するものでもないし、安いのを何本も持っていたって仕方ないでしょ。テレビでは貧乏人の味方みたいにレポートしているけど、単なる客寄せ商品なのは誰もが気づいてるし、なのに「安いよね〜、うれしいよね〜」って大はしゃぎ・・・バカにしてんのか。

むしろ貧乏人は、こういう大してありがたくない価格破壊が、やがて自分たちの首も絞めることになるのを恐れてますよ。ちょっと前だと、スーパーでの生鮮食品の袋詰め放題。いかにたくさん詰め込むかをテレビでやってたけど、あれも実に不愉快だった。


2009年10月 9日 (金)

くすくす笑いが止まらない

『続百鬼園随筆』内田百閒
(新潮文庫)


Uchidahyakken 百鬼園先生はいつも小動物に関する文章が、独特の味わいがあって面白い。自分のことも小動物のように、客観視しているふうなのがいい。

子供の頃のことを、情景を含めよくこれだけ事細かに覚えていられるものだなあと感心したが、巻末の解説によると17歳のときの文章が収められているとのこと。いつもと少しスタイルを変えて書いてみたとしか思えないくらい、若いときの文章もうまい。

百鬼園先生は、大晦日の借金取りの話から飛躍して、人間の魂や命の在りかが頭でも心臓でもなく腹だとするのは大変不幸な誤解だと嘆いている。「腹が黒い」「腹が立つ」…最たるものは「切腹」。確かに頭は硬いから、そこに刀を当てて自害しようとしてもまぬけな感じがする。

「目を閉じたまま、瞼の裏側を見る様な気になって見る。花形の様なものが、幾個となく出来て、それが次へ次へと、向うの方へ消えていく。」…これ、寝付けないときによくやる! 何かの残像のような白っぽく同じ形のものが次々と流れて消えていくのを見失わずに追っていると、余計なことを考えるのを忘れて眠れるみたい。

2009年10月 7日 (水)

戦争用語の乱用にご用心

2007年ITW(インターナショナル・スリラー・ライターズ・オーガニゼーション)最優秀長編小説賞受賞のビジネスサスペンス。日本人には馴染みある固有名詞がたくさん出てきます。

『最高処刑責任者』ジョゼフ・フィンダー著/平賀秀明訳
(新潮文庫 2008年邦訳)


ジェイソンは日本家電メーカーの辣腕営業マン。誰からも好かれ、過去には売上トップの成績を上げていたが、最近の業績はイマイチで、家庭でも妻との関係がギクシャクしていた。ある日、ジェイソンは自動車事故を起こし、事故処理に現れた男と野球談議で親密になる。そして、彼が元陸軍特殊部隊員と知って社の保安部に就職できるよう便宜をはかってやると、途端にジェイソンはツキに恵まれだす…。


Killerinstinct 企業用語には戦争用語が多用されている。でも、その例えをマジに受け取ってしまう男がいたとしたら、そして、男が凄腕の元陸軍特殊部隊員だったとしたら・・・この着想が面白い。文章はユーモアがあって、読み始めはたびたび口元がゆるむ。けど、やがてホラーへと変わっていくのは邦題からも予測がつくかもしれない(原題は「Killer Instinct」=闘争本能?)。
主人公のジェイソンは、一見ではうかがい知れないイカレた人物から好かれてしまったために、とんだ事態に巻き込まれていきます。それにつれて、笑いながら読んでいた、サラリーマンだったら共感するところのある細部も、なんだか嫌なものを読まされているように思えてくるんだよねー。明朗なジェイソンの人柄と、苦労知らずのようで実は賢く堅実な妻のキャラクターに救われましたが。

よくできた面白いサスペンス。しかし、営業マンたちの出世争い、ライバル会社との受注競争、リストラの恐怖、スパルタなうえに手柄をすべて自分のものにしてしまう上司・・・こういう題材は、自分にとってあまり気分転換にならないことが分かりました。実際に自分の勤務先の社長は、この小説に登場するゴーディおよびハーディそのものなんだよね(おえっ)。そして、自分は営業を本業にしなくてよかったとつくづく思う。現実には半分営業みたいなものだけど。


今ひとり、非常にやっかいな客がいる。そいつは帰国子女のせいか、自分を正当化するためなら相手の揚げ足をとることに容赦ない。「私は完璧主義」を自称し、不可能を可能にしろといつも求めてくる。たまに世の中にない技術も求めてくる。「そんな技術は存在しません」と言っても理解できない。自分が思ったとおりに仕事が運ばないというだけで、詫び状を書かせる。その詫び状がまた気にくわないと文句をつけ、あげくに「お里が知れますね」なんて言葉をしれっとして吐く。そいつはたかが数千円の仕事で人を何度も呼びつける。それだけでも交通費や人件費が派生していることが想像できない。でもって「1時間でできる仕事なら2000円でも高すぎる」とねぎってくるのだが、それでは会社が成り立たないということが理解できない。要するに頭が悪いうえにエラそうで、しかも間違った方向で仕事熱心なのだ・・・もううんざりなり。

2009年10月 1日 (木)

楽しい職場、愉快な仲間

息抜きにはもってこいのコージー・ミステリ。

『ピザマンの事件簿 デリバリーは命がけ』L.T.フォークス著/鈴木恵訳
(ヴィレッジブックス 2009年邦訳)


Coldslice 大工のテリー(おれ)は、バーで酔っぱらって暴力沙汰を起こし刑務所入り。出所したはいいが、仕事も女房もトレーラーハウスも愛車のトヨタ・タコマ・ピックアップトラックも失ってしまったため、友人ダニーの部屋に居候することに。生来は働き者のテリーは、さっそくピザ店の配達係の仕事を見つける。しかし、それから間もなく同僚の一人が店の駐車場で刺殺される事件が起き…。


長身な体躯で、もさもさの長髪を束ね、垂れ下がった口ひげを生やし、ふだんの格好は格子柄のネルシャツに色あせたジーンズ。お気に入りの音楽はレーナード・スキナード・・・アメリカの白人ブルーワーカーのイメージそのものの主人公テリーは、実に人好きのする真面目でいい奴のようなのだ。そんなテリーが一人称で語るこの物語には、気の合う仲間がいることの楽しさ、そして働くことの喜びに満ちているので、私も心洗われるような思いがした。「腐った心でいると周りの人間もみんな腐って見える」といつも反省しながら生きているもので・・・なんつて。
本音をいうと、自分がトウが立っているに似つかわしく、純な心を秘めつつも世の中を斜めに見ながら生きている主人公の話のほうが読むには面白い。

 

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