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2008年7月21日 (月)

利用される「宗教の違い」

通勤電車の中で読むには重いので、家でちびちび読む。

『見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行』四方田犬彦著
(作品社 2005年)

Fi2621626_1e 2004年にテルアヴィヴとベオグラードの大学に文化交流使として派遣された著者が、滞在期間中にイスラエルとパレスチナ、旧ユーゴスラビアの各地を訪れ見聞きしたことをまとめた本。

民族や宗教の違いが戦争を引き起こすのではないと著者は言います。人間は自分たちの生活や文化を脅かす者が現れたときに初めて、自らが属する民族や宗教を強く意識する。パレスチナやバルカン半島の紛争もそこに端を発する。
ともにオスマントルコ帝国に属し、帝国が力を持っていた時代は、さまざまな民族や宗教・宗派を信じる人たちが、平等とはいわないまでも平和裡に暮らし、他民族や他宗教に対しての寛容さを持っていた。それが、各地で民族自決の思想が芽ばえ始めた19世紀、オスマン帝国の衰退とともに、一部で脱イスラムが進んだことは反動として理解できなくもない。しかし、なぜ民族浄化にまでエスカレートしていったのか……。

入れ子構造の差別は世界中どこにでも存在すると思うが、アシュケナジーム(東欧系ユダヤ人)が権力を握るイスラエルも、セルビア人も、自分たちを西欧の仲間であると考え、西欧文化こそが最も進化していて優れた文化だということを疑わない。それが他民族・他宗教への蔑視を煽り、民族浄化を後押ししてきたように思えてならない。もともと西欧人たちが持っていた異文化に対する蔑視は、欧米諸国が下したセルビアへの空爆という制裁と、イスラエルへの対応の違いにも透けて見えくるのがなんとも嫌な感じ。セルビアはセルビア人の思いとは反対に、西欧から見れば「野蛮な東洋」に属していた。

しかし、自分が西洋・東洋という分け方をして、逆に西洋こそ野蛮じゃないかとひとくくりに考えてしまうのも、すでに西洋的な考えに感化されてしまっている証拠なのかもしれない。うーん、どうなのだろう。あと、民主主義というのは誰かを排除したうえでなければ、本当は成り立たないのではないだろうかとか…。考えれば考えるほど分からなくなってきます。

自分がいちばん興味をもって読んだのは、「ユダヤ人」の定義不可能性なのだけど、読んでますますバカバカしくなった。停滞しているように見えるパレスチナ問題だけど、イスラエル内のアラブ系住民の人口増加が、かすかな希望といっては楽観的すぎるかな。

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