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2008年5月

2008年5月25日 (日)

結成40周年ライブ

21日にタワー・オブ・パワーのライブを観ました。先月のマルコス・ヴァーリに続きブルーノート東京。身の程に合わない贅沢をしていると思うけど、小さな箱というのは癖になる。でも、しばらくは自粛しなきゃ!


TOPについては全盛期時代でも特にファンだったわけではない。昔からもっとルーズなファンクサウンドのほうが好きだったもので。ずいぶん前に来日したときに、チケットを購入していながら、ライブ当日に高熱を出して行くのを断念したことがある。そのときはドラムスがデヴィッド・ガリバルディではなく、行った友人Aはすごいつまんなかったと言っていた。そんなこともあって、何度も来日しているようだけど今回がTOPライブの初体験。友人Aとリベンジのつもりで行ってきた。


結成40周年ライブとのことです。古参のメンバーは、リーダー&テナーサックスのエミリオ・カスティーリョ、バリトンサックスのスティファン・クプカ、ドラムスのガリバルディ、ベースのフランシス・ロッコ・プレスティア。これに、テナーサックスのレニー・ピケットとオルガンのチェスター・トンプソンもいたら個人的には文句なしだったのですがっ!(いつの時代の話をしているのだと突っ込まれそうですね。)しかし、主要メンバー4人残っているだけでもよしとしなければ。近年のアルバムは聴いたことないが、ライブを見た限りではサウンドも70年代と基本的に変わらなかったです。


音楽ライブは1曲目が始まった瞬間がいつもうれしくてたまらない。特にこういう大編成バンドは音量にまず圧倒され、リズムに合わせてのステージ上のパフォーマンスを見ているだけでも頬がゆるんでくる。ただ、音量バランスを取るのが難しそう。フロントに並んだホーンは、5人とも体の横幅までデカいので、聴覚でも視覚でも壁となり(笑)、後ろのドラムスとベースの音が小さすぎる気がした。けれど、会場のサイズを考えれば仕方ないかな。ドラムスとベースだけは、体型も若い頃と変わらずスリムなままなのが面白い対比でした。


内容は、お祭りライブとして楽しみました。ガリバルディのドラムが思っていたほど派手ではないのね。それって上手い証拠なんでしょうね。自分たちが素人バンドを組んでいたときは、ガリバルディかぶれのドラマーはおおよそ自己主張が強すぎ、敬遠するが吉でしたが(笑)。プレイに衰えを感じさせないガリバルディとロッコの職人風リズムコンビ、さすがでした。あと、この人うまい!と思ったのは黒人キーボードのロジャー・スミス。ソロでは一人異質な才能を感じさせました。光っていました。「ああ70年代だ」という懐かしさをおぼえたのは、意外にもコーラスアレンジでした。リードボーカルはホーンに埋もれてしまわない声量がとにかくすごい。黒人ならではという感じ。


Fi2621598_1eところで、タワー・オブ・パワーで自分が一番よく聴いたアルバムは、写真の『Live And In Living Color』(1976年)。レコードB面延々23分に及ぶ「ノック・ユアセルフ・アウト」の演奏におけるレニー・ピケットのサックスソロが大好きだった! 改めて聴き直してみても、やっぱり興奮するわ。

2008年5月18日 (日)

アメリカンドリームの闇

ポール・トーマス・アンダーソン監督、ダニエル・デイ=ルイス主演の話題作。映画館で映画が始まる前の10分くらい、睡魔が襲ってうとうと。これは映画が始まったら本格的に寝てしまうかもと危惧したが、まったくそんなことのない、2時間40分緊張の途切れぬ見応えある映画でした。たまに音楽がうるさくあったけど。

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007年 米)
★★★★★

20世紀初頭のアメリカ。しがない鉱山採掘者であったダニエル・プレインビューは、不屈の精神だけを武器に石油を掘りあて、実業者としての基盤を築く。だが、この成功は彼のゴールではなく、底知れぬ野心に火をつけただけだった…。(映画のちらしより)


(以下、大いにネタばれしてます。)
Fi2621597_1e 岩山の谷あいに掘られた穴の中、主人公プレインビューが一人つるはしをふるい金鉱を探すシーンから始まる映画。BGMがオカルト映画に使われるような弦楽器を使った現代音楽風で、この冒頭から不吉なにおいがぷんぷん。また、ゴールドラッシュがオイルラッシュの時代へと移り変わるまで、セリフが一つもないのも意表を突く。しかし、やがて明らかになってくるプレインビューの人間性を暗示するのに十分な出だし。

山師プレインビューは、アメリカはこういう男たちによって国土を広げてきたんだろうなと思わせる荒っぽくタフな男。他人との絆を一切求めず、あらゆるものを自分の欲望のために犠牲にする。いやはや、これほど一般的な共感とは無縁な主人公の映画も、そうはないよね。しかし、その富と権力への執着の原動力は、出会った途端にその人間の最も醜いところが見えてしまうというプレインビューの人間嫌いの性質にあり、さらにその発端は、映画には登場しないが父親との関係にあったらしいことをにおわせる。

この映画の唯一の安らぎは、息子H.Wの健気さだ。冒頭に登場する油井の事故で死んだ男の遺児と思われる赤ん坊を、プレインビューは男手一つで自分の息子として育てる。心底可愛がっているように見えるシーンも多いが、採掘の土地を手に入れるためにその所有者を説得する道具としても利用する。やがて大油田を掘り当てると同時に、息子は事故で聴覚を失い、その後プレインビューの異母兄弟と名乗る男(ハムナプトラのイカサマ師、ケヴィン・J・オコナーだったよ、これが!)がプレインビューの成功を聞きつけて現れると、息子はもう用なしとばかりに遠くの学校に追いやってしまう。しかし、弟が偽物と分かると(この瞬間のダニエルの憎悪の表情が怖い!)、再び息子を呼び寄せる。

プレインビューがアルコールに溺れ、破滅の様相を見せ始めるのは、偽の弟を通じて、本当の弟の存在とその死を知らされたときからだ。さらに破滅を決定づけるのは、成人した息子が独立して家を出て行くと宣言したとき。私としては、プレインビューが息子にいつ「お前は俺の本当の息子ではない」との真実を告げるのだろうというのがずっと気になって見ていたが、いよいよのときにも徹底して非情なプレインビューの告白に、むしろ彼の人間らしい孤独の叫びを聞いたように感じた。
プレインビューも本能的には孤独に苦しめられ、自分にとっての唯一無二の相手(養子や血縁の弟)に慰めを求めていたのであり、そうした感情を自分で押さえつけ無視してきたことが、コントロール不能にまでふくれあがり、破滅へと導いていったのではないか。遅ればせながら、手にした富と権力を引き継がせる者もいない虚しさにも気付いたのだろう。しかし、これは凡人の想像で、相変わらず彼の頭の中には、自分の権力を超えて行く者は一人も許さないとの思いでいっぱいだったのかもしれない。

プレインビューのやりたい放題を阻む唯一の敵、カルト的教団の司祭イーライも、プレインビューに負けず劣らず疎ましい人物だ。ダニエル・デイ=ルイスの鋭い眼光としわの刻まれた顔はプレインビュー役にぴったりだが、イーライを演じたポール・ダノの顔つきは一見、未熟さと愚鈍さを感じさせるので、やがてプレインビューの合わせ鏡のような性格が露になっていくくだりが一層に無気味に感じられる。

オイルラッシュと、フロンティアに入植した貧しい人たちの間に育まれていったカルト教団という、ネタそのものは時代性と、今に通じる土地柄を十分に反映しているが、映画の後半、プレインビューとイーライの対決がメインになってくると、かなり寓話的な話となり、アンダーソン監督らしいなと思った。掘ったて小屋のような家から一転、バカでかくゴージャスなだけの邸宅の中にプレインビューひとり閉じこもるように暮らしている様子も分かりやすい。(彼に大油田の存在を知らせたイーライの兄とイーライを、同じポール・ダノが演じているのにも何か意味があるのだろうか。)
映画の中でいちばん気に入ったのは、ラストシーンでのプレインビューの「おれは終わった」の一言。なげやりでせいせいしたかのようだった。悪あがきをしないところがプレインビュー唯一の美徳かしらね。

バッジがあろうとなかろうと

ハリウッド署の“元”刑事ヒエロニムス・ボッシュ・シリーズ9作目。

『暗く聖なる夜』マイクル・コナリー著/古沢嘉通訳
(講談社文庫 2005年邦訳)

Fi2621596_1e 市警をやめたボッシュは、警官としてではなく個人の人生における使命を模索する日々を送っていた。そんなとき銃撃事件に巻き込まれ全身麻痺となった元同僚からの電話により、4年前の未解決事件を思い出す。両手を差しのべるように伸ばした姿で殺されていた女性・・・ボッシュにとっても心残りな事件であり、死者の代弁こそがやはり自分の使命なのだと心をかため、独自の再捜査を始める…。

長く続いているこのシリーズ、読んだ後の満足感において常に一定のクオリティを維持しているところがすごいすね。長編なのに長編のストレスをまったく感じさせないところも。
映画製作会社に勤める若い女性の死、その直後に起きた映画ロケ現場での200万ドル強奪殺人事件、そして事件を担当していた刑事たちを襲った事故、その刑事たちに事件の重要な手がかりを与えたと思われるFBI女性捜査官の失踪、さらにアメリカを狙うテロ組織の存在・・・さまざまな要素が複雑に絡み合っているがために解明に至らずにいたそれぞれの謎を、いつもながらの食いついたら離さないボッシュの行動力が一気に解き明かしていく。

真相を突き止めるためなら、卑怯者と言われたり、汚いと言われる手段もつい探究心にかられ使ってしまう・・・ここがボッシュの弱点であり、人間臭さになっているかな。他人が自分に不法な手段を使うと怒りで顔を真っ赤にすることもあるのに、自分が他人に同じことをしてしまうのを抑えることができない。潔癖な人なら、許しがたいヒーロー像だよね、ボッシュは。その矛盾をボッシュ自身は分かっているらしく、相応のしっぺ返しも食らうのだけど、現実の知り合いにこういう人がいたら嫌だ(笑)。
また、彼が動くと、事件の犠牲者よりもさらに多くの死者が出てしまうのも相変わらず。イギリスのジョン・リーバス・シリーズではまずありえない。しかし、これまたベトナム帰還兵という背景をもつボッシュ・シリーズの個性になっているから、安易すぎると批判するのは野暮ってものなのだろう。

読み終わって印象に残ったのは、全身麻痺の生活を送る元刑事と妻の関係。妻はボッシュが携帯フラスコのアルコール以上の災を持ち込むのを初めから予期していたのだろうか。ボッシュに対する非難がましい態度から一転、浮気を誘いかけるような瞬間があるのだけれど、あのときの彼女の心のうちの複雑さをいろいろに想像してみます。

2008年5月11日 (日)

帰ってきたヒーロー

ドラマ「ホカベン」が、新米弁護士のとまどいを通じて理想と現実のギャップをストレートに描いており、なかなか面白いです。物わかりの良すぎる人たちへのアンチテーゼ。苦い後味を残すところが最近のドラマの中では新鮮。


『殺人遊園地へいらっしゃい』クリス・グラベンスタイン著/猪俣美江子訳
(ハヤカワ文庫 2007年邦訳)

Fi2621595_2e 家族連れで賑わうのどかな海辺のリゾート地シーヘイヴン。この町で「おれ」、24歳のダニー・ボイルは夏だけの臨時警官の職に就いている。パトロールの相棒はイラク帰りのジョン・シーパク。何らかの事情で除隊し、警官になったばかりで、いつもブルース・スプリングスティーンの歌詞をつぶやいている。そんな2人が、早朝の遊園地で起きた大金持ちの不動産業者射殺事件で、唯一の目撃者となった娘アシュリーの警護を任される…。

コピーライター、ドラマ・映画の脚本家から作家に転身した著者の第1作で、アンソニー賞最優秀新人賞受賞作。
「ある者たちは生きる上での規範をもち、ある者たちはもたない。ジョン・シーパクは? 規範をもつくちだ」・・・24歳になってそろそろ本気で将来のことを決めようとしているダニーは、きわめて現代っ子。そのダニーの目を通して見た相棒のシーパクといえば、今どき珍しい真面目一方の堅物警官。堅物なことは愚かなことなのか。はたしてシーパクの性格は、事件の関係者によって利用されそうになるのだが…。
リゾート産業で成り立つ町の描写など、ほのぼのとしたユーモアを感じさせる語り口と、とことん病んでいる事件の真相とのギャップが大きかった。こんな世の中だからこそ、シーパクのような堅物は必要なのだ。魅力的なコンビもの。推理ものとしてもよく出来ていると思う。続編が出ているのに気付いたら読む。

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『1/2の埋葬』ピーター・ジェイムズ著/田辺千幸訳
(ランダムハウス講談社 2008年邦訳)

Fi2621595_3e 独身最後の夜のおふざけパーティー=スタグナイトで、新郎マイケルは悪友たちに酔ったまま棺桶に入れられ、生き埋めにされてしまう。数時間で掘り出される予定であったが、時間潰しに出かけた悪友たちは交通事故を起こし、意識不明の重体で救い出された1人を残して即死。翌日、結婚を控えた男が行方不明との通報を受けたロイ・グレイス警視が捜査に乗り出すが、手がかりは乏しい…。

世界26カ国語に翻訳、仏・英でミステリ賞に輝いたシリーズ第1弾とのふれこみに引かれて読んでみた。生きながら埋葬されてしまうというホラーな設定は娯楽小説として魅力的だし、警視とその仲間の会話も渋くていい。
そんな感じで、出だしは良かったのだけれど、細部は意外とスカスカ。だんだんとショッキングな展開で読者を驚かせようという意図のもとに書かれた小説であることが分かり出し、極めつけはラスト・・・あまりにおざなりすぎて衝撃的! グレイス警視を主人公としたシリーズものとして続編が何冊か出ているようだけど、毎回こんなふうに事件を解決してたらどうしよう(笑)。こんな離れ業を使ったら、どんな難事件も即座に解決するんじゃないか?
そもそも英国が舞台なのにちっとも英国ぽくないから、どうしてだろうと思って著者の経歴を見たら、アメリカで映画の脚本やプロデューサーの仕事をしていたとあり、なるほど、まさにハリウッドのB級娯楽映画テイストだと思った(B級といわれる映画は嫌いじゃないが)。人それぞれの好き好きだけど、同じような経歴をもった上記『殺人遊園地へいらっしゃい』の著者の作風のほうが好きだ。

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