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2008年4月

2008年4月29日 (火)

FenderRhodesだあー!

ブルーノート東京でマルコス・ヴァーリのライブを観る。
演奏時間はアンコールも含めて1時間半くらいか。いやいやー、楽しかったわ! 熱心なファンというほどでもないので前回の来日は見送ってしまったが、思い切って行って良かった! やっぱり生で聴く、グルーヴ重視の、かつポップな音楽が大好きですねん、私。

現在64歳のマルコス・ヴァーリはボサノヴァ音楽の人、というよりは今はMPBのジャンルに括ったほうがしっくりくるのか。ステージに登場したいかにもサーファーらしいラフないでたちも、やっている音楽の内容もとてもそんな年齢を感じさせない。
メンバーは、ドラム、ベース、サックス&フルート、何曲かでデュエットを歌った女性ボーカル、そして、マルコス自身が歌をはじめ、フェンダーローズ(うぉ!久々に生を聴いた)やメロディカなどのキーボード類、ギターといったコード楽器をすべて一人で担当し、とっかえひっかえ演奏。忙しそうだったけど、それもまた楽しそう。
主に使っていたのはローズで、一緒に行った友人は「ギターの助っ人でも頼めばいいのに」と言っていたが、そこは何かこだわりがあるのでしょう。というか、ローズもいいけどメロディカの音色もいいなあ、欲しいなあ…。

最初の2、3曲は、メンバーの演奏が合っていないように感じることもあったが、ドラムスがサンバのリズムのソロで一度はじけてからはまったく気にならなくなった。インストが何曲かあったけれど、やはり歌入りがいいですね! ポルトガル語は、同じ言葉を繰り返したり、韻を踏んだりするだけで、なぜこんなに音楽的でうきうきしてくるんだろう。子供も喜んで口ずさんでしまうような単純な響きがいいんだ。

Fi2621586_1e 生で聴けて嬉しかったのは「Agua De Coco」という曲。2003年のアルバム「Contrasts』(写真)に入っている。クラブジャズ色の強い1枚だが、この曲は無性に好きで、しばらくこればかりをくり返し聴いていましたよ。ライブではアルバム収録よりずいぶん速いテンポでの演奏で、歌詞が早口言葉みたいだった(笑)。

2008年4月27日 (日)

見えない殺意

内勤の職種で就職したのに、年下の営業担当上司のサポートワークが増える一方。で、本来の仕事はその上司が帰宅してからこなしていると、ほんとストレス溜まるわ。こんな中途半端なポジションは社内で自分一人だから、仲間意識を持てる相手もいないし。
就職して2年になるが、いまだに自分の職場との意識が持てない会社だ…。大抵の人は、デスクの上に癒しグッズだのの私物を飾り、パソコンにはスクリーンセーバーや壁紙を貼っているが、そんな気にもならないよ。今でも通勤には定期ではなく、回数券(笑)を使っているのがささやかな抵抗。抵抗になっていないって? いいの、気分的なものだから。


女男爵の爵位をもち上院議員でもある作家レンデルのウェクスフォード警部シリーズ、1985年の作品。

『無慈悲な鴉』ルース・レンデル著/吉野美恵子訳
(ハヤカワ・ミステリ 1987年邦訳)

Fi2621585_2e 隣人からセールスマンの夫が戻らないとの相談を受けたウェクスフォード。最初は乗り気でなかったが、男が勤める塗料会社の役員を通じて、男が妻には職種を偽り、秘密の銀行口座を持っていたことを知る。やがて刃物で刺し殺された男の死体が郊外で発見されるが、死体発見を知って警察を訪れた妻と名乗る女は、隣人とは別の女だった。また、同じ頃、死体発見現場周辺では刃物を持った若い女が、声をかけた男に切り掛かる事件が続いていた…。

二重生活を送っていた男を殺した犯人の動機は何か。長年にわたり嘘をつき通してきたツケか、ロリ趣味か、近親相姦か、ハイスクールの生徒を中心に結成されたフェミニストグループの過激分子による無差別的犯行か・・・。どれも決定的な動機が欠ける中で、ウェクスフォードだけはある確信を深め、危険なおとり調査に賭ける。
いかにも英国の女性作家らしい鬱々とした内容。

過激なウーマン・リブを題材に使っているところが少々古くさく思えてしまった。80年代といえば、日本でも上野千鶴子の本などが話題になっていた時代。でも、古くさいと言い切るほど性差別の実態は変わっていなくて、今はより差し迫った少子化や経済的格差の問題に名目上は取って代わられているだけかな。女性だからという理由で揶揄されたり、逆に過剰に評価されたりといったことに対して、多くのマスコミは無神経のままだ。

性差別については、自分も一時期敏感だった。学校ではずっと男女平等で育ててこられたのに、社会に出た途端、まったく違っているのを身をもって実感する。失望は、何年もの間、静かな怒りとなってくすぶっていた。
でも、この小説は、その点で共感を得るような内容とはほど遠い。スカッとするところが一つもない。さまざまな人たちの心理が複雑に絡み合うことで解明困難となっていた事件の真相。最後に明かされる殺意の動機は、むしろ現代的ともいえ、不気味さだけが残るのでした。

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『犬はどこだ』米澤穂信著
(創元推理文庫 2005年作品)

Fi2621585_3e 東京の銀行に就職したが、ストレスによるアレルギー発疹に悩まされ2年で退職。故郷に戻り、探偵事務所を開いた主人公。犬探し専門のつもりだったが、開業早々舞い込んだのは、失踪人探しと神社に残る古文書の解読。そんなとき、以前から探偵の仕事に憧れていたという高校の後輩が押し掛け、成り行き上、雇うことに…。

文庫の解説には、ロス・マクドナルド的な「私」(=主人公)の私立探偵小説と、ミッキー・スピレイン風の「俺」(=後輩)の私立探偵小説を併置したような小説とある。どっちも昔1冊ずつ読んだきりなのだけど、2種類のステロタイプな私立探偵像をなぞるように書かれてあるのは分かります。主人公のほうは、最近読み直したマイケル・Z・リューインの『A型の女』のそれにも似た雰囲気があると思った。
それにしても、事務所を構える私立探偵が25歳とは、若すぎるよ! まだ、子供じゃん。そういう年齢層が読者対象なのでしょう。わりとほのぼのしてる。でも、最後はきっちりハードボイルド探偵小説風。

2008年4月20日 (日)

ある日突然職を奪われたら…

映画館で予告を観て気になっていた映画。列車が風を切って走るシーンを楽しみにしていたけど、列車が走らなくなってから始まるストーリーだった。

「今夜、列車は走る」(2004年 アルゼンチン)
★★★☆

Fi2621584_1e 鉄道とともに栄えたアルゼンチンの地方都市。しかし民営化に伴い、ある日突然、路線の廃止が言い渡される。交渉に当たった組合代表は自殺。鉄道員たちは自主退職を促され最初は抵抗を示したものの、家族や生活を思い次々にサイン。新たな職探しを始めるが、就職難でコネを頼るしかない。その一方で徹底抗戦を訴え一人で工場に立てこもる老いた整備工もいた…。

90年代初頭のアルゼンチンで、約6万人の鉄道員が職を失うことになった国鉄民営化の実情を題材にした映画。同じ職場で働いていた5人の男たちの、職を失ってからの苦境や奮闘が描かれるが、どんどん辛い話になっていくと想像させておいて、するっと種明かしして笑わせてくれたりと、ユーモアをきかせているところがなかなか良かった。特に白タクの運転手になった男の話が面白かった。イギリスの炭坑労働者の町を舞台にしたヒューマン・コメディ映画に似ている部分がある。

しかし、鉄道員の誇りを捨てることでなんとか新しい仕事にありつき、次第に現実と折り合いをつけていける者はともかく、老いた鉄道員たちの現実の描き方には遠慮がない。終盤、ある事件を通じて元同僚たちの人生が再び交差するのだが、そこに至る加速的展開がこの映画のいちばんの見どころと思う。その後は、個人的には面白さが失速するんだけど、着地点としては悪くなかった。結局あれかな、現実がそれによって変わろうが変わるまいが、言うべきことは言っておけということかな。でも、社会派映画というふれこみはどうだろう。この映画には荷が重すぎる気がするけど。

映画を観た渋谷ユーロスペースの周辺はライブハウスがいくつかあって、その一つには開演何時間も前から客が列をなしていた。「誰が出るのか聞いてみる?」「そうやって何でも人に気軽に聞けちゃうのが典型的なオバさんだよね」と友人と笑い合ったのだが、別に誰かに迷惑がかかるほどでもなし、聞きたいことは聞いておけばいいのに、やっぱりオバさんと思われるのが癪で遠慮してしまったのが、この日ばかりは情けない気がしましたね・・・って映画から飛躍しすぎですか?(笑)

2008年4月13日 (日)

「モータウンは好きじゃない」

ワシントンDCを描き続ける著者の、黒人探偵デレク・ストレンジ・シリーズ4作目。

『変わらぬ哀しみは』ジョージ・P・ペレケーノス著/横山啓明訳
(ハヤカワ文庫 2008年邦訳)

Fi2621582_1e 真面目で働き者の両親のもとで育ったデレク・ストレンジは、12歳のとき、イタリア系の不良少年ドミニクに挑発されるままに万引きをし、デパートの保安係に見つかってしまう。しかし、保安係はデレクの事情を見抜いて、その場で叱るに留め、逆に「将来は警官になりたい」というデレクの夢を聞き出して励ます。そして10年後の1968年、自分の育った街で黒人警官として職務をまっとうするデレクの姿があった…。


シリーズ4作目はデレクの警官時代にさかのぼっての物語。ペレケーノスの小説は、時代はそれぞれ違えど、当時の音楽、ファッション、車、NBA、西部劇映画などの話題を小ネタに盛り込み、最後は法を無視した復讐に終わるという、どれも同じといえば同じ内容。けれど、皆それぞれに弱さを抱えている人物の描き方に共感を覚えつい読んでしまう。特にどうしようもないチンピラの若者を描かせたら抜群にうまい。

よく分からない邦題がついているが、原題は「Hard Revolution」で、ストレンジ一家も巻き込まれることになる2件の殺人事件と、その物語の背景としてキング牧師の暗殺、それを受けて約8000人もの逮捕者を出したワシントンDCでの暴動の様子が、当時の関係者の取材をもとに事細かに描かれる。結局、暴動というのは、商店を襲っての略奪と放火に尽きるのだなあ。群集心理で子供も老人も関係なく、いつもより少しエゴに走る人は走る。

これ以前に書かれた『終わりなき孤独』と『魂よ眠れ』に登場するギャングのボス、グランヴィル・オリヴァーとデレクの関係が、この巻で初めて明らかになる。この部分の面白さは、シリーズを続けて読んでいないと分からない。

「ああ、愛の蒸し餃子」

インド系の女性作家による、ブッカー賞と全米批評家協会賞、ダブル受賞作。久しぶりに単行本、久しぶりに文学文学した小説(文学って何?)。でも、出版元はいつもながら早川書房なのだ・・・どうしたものか抜け出せません、ハヤカワの回し者から。

『喪失の響き』キラン・デサイ著/谷崎由依訳
(早川書房 2008年邦訳)

Fi2621581_1e 両親を交通事故で亡くした少女サイは、修道学校を追い出され、彼女の唯一の身元がいるヒマラヤ山岳地帯のカリンポンへと送り届けられる。そこに住んでいたのは、判事を引退したトカゲ似の顔の祖父と、彼の使用人でアメリカにいる息子からの手紙を心待ちにしている料理人、そして祖父の愛犬マット。やがてサイ17歳のとき、家庭教師のネパール系青年ギャンと恋に落ちるが、折からのネパール系住民による自治独立運動の高まりにより、その恋にも暗雲がたちこめる…。

孫娘の登場により、孤独で偏屈な老人の気持ちにも変化が・・そんな話かと思って読んだら、まったく違っていた。清々しいほどの裏切られ様(笑)。いや、いい意味で。

西ベンガル州カリンポンは、インドの地図でいうと、ネパール、中国チベット自治区、ブータンに囲まれてぽこんと飛び出たところの付け根の位置する。お隣の町ダージリンとともに、もともとはシッキム王国の領土。場所が場所だけに、その歴史は常に周囲の国々に翻弄され、新たな国境が引かれてはまた消されのくり返し。そのため民族構成も複雑。ベンガル人、チベット人に加え、イギリスの植民地時代に茶葉栽培の労働者として大量に雇われたネパール人たちがいる。また、イギリス人の避暑地だったときに住み着いた人たちもいる。さらには同じインド人の間にもカーストというものがある。
やがて、1986年にネパール系住民によるゴルカ(グルカ)民族解放戦線の暴動が起きるわけだが、その前後の数年が小説の舞台。

雨が降り続き外界との交信が一切途絶えてしまうモンスーン月の話も印象に残る。まあ何がインパクトあるかって、この小説を読むまで名前すら知らなかったカリンポンという土地のこと。また、文章表現がかなり練り込まれていて個性的。少女ファンタジーとユーモアの合間に、人間や社会に対するかなりシニカルな描写も出てくる。

物語としては、サイの恋の話よりも、読み進むにつれて明かされる老判事の過去や、カリンポンの話と交互に登場するアメリカにいる料理人の息子ビジュの話のほうが面白い。終盤、ビジュに襲いかかる不幸を読み(ネタばれになるので書かない)、なんて救いようのない!と思ったが、そこで絶望を感じた自分はまだまだ青いぜと考え直した。一部抜粋。
「しかし住民たちは暴力に衝撃を受ける一方で、暴力のありきたりなつまらなさにもまたしばしば驚いていた。・・・(略)・・・ここで彼らはまったく平凡であった。身の丈以上の問題にはまるで不釣り合いな人々が、過去対現在、正義対不正といった神話的な争いに捕われていた。最も月並みな人々が並外れた憎しみに心を奪われていたが、並外れた憎しみは結局のところ、まったくありふれた、平凡なものだった」

著者はニューデリー生まれ。母親も作家。15歳でイギリスへ。現在はアメリカに住んでいるらしい。

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