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2007年9月

2007年9月30日 (日)

カドフェルは何でもお見通し

12世紀半ばのイングランドが舞台。修道士カドフェル・シリーズ2作目と3作目。

『死体が多すぎる』エリス・ピーターズ著/大出健訳
(光文社文庫 2003年邦訳)

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シュルーズベリは混乱の極みにあった。ヘンリー一世を後ろ盾とする女帝モードがフランスにいる隙に、イングランドの多くの貴族たちに推される対抗馬、スティーブン王がシュルーズベリ城を陥落させたからである。その戦いで捕虜となり処刑された者、94名。ところが、埋葬を頼まれたカドフェルが見たのは95名の遺体だった。死体が多すぎる。誰が何のために死体を紛れ込ませたのか? 高潔の人、カドフェルの追及が始まる。
(文庫裏表紙より)


『修道士の頭巾』エリス・ピーターズ著/岡本浜江訳
(光文社文庫 2003年邦訳)

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自らの土地を教会に寄進することで楽隠居を考えた荘園主が、食事中に悶死する。殺害に使われたのは修道士の頭巾の異名を持つトリカブトだった。それもカドフェル修道士が調合したものが悪用されたとあっては見過ごせない。ところが、カドフェル修道士が調査に乗り出してみると、荘園主の妻は42年も前に将来を誓い合った女性だった。甘酸っぱい哀しさを漂わすイギリス推理作家協会賞に輝いた会心のシリーズ第3作。
(文庫裏表紙より)


ちゃんと感想を書かなくてすみません。何を書けばいいのか…。 気分転換に読むには楽しいシリーズ。CWA賞受賞の3作目より、2作目のほうが面白かった。2作目で登場し、おそらくシリーズのレギュラーとなる野心家の青年ヒュー・ベリンガーの人物像が魅力的。てっきり卑怯なやつだと思ってたのに。

2007年9月25日 (火)

この街では毎日が最後のチャンス

1作目の『曇りなき正義』がカーティス・ハンソン監督によって映画化(2010年)されることが決定している黒人探偵デレク・ストレンジ・シリーズ第2弾。

『終わりなき孤独』ジョージ・P・ペレケーノス著/佐藤耕士訳
(ハヤカワ文庫 2004年邦訳)

家族のいないワシントンの探偵デレク・ストレンジにとって、少年フットボール・チームのコーチをすることは生きがいだった。少年たちを指導し、犯罪に手を染めないようにさせる。しかし、そんな彼の情熱をこの街は無情に嘲笑った。練習後、デレクが目をはなした隙に、チームの少年が何者かに射殺されてしまったのだ。己への怒りと深い哀しみを背負い、デレクは犯人を追い始めるが…。
(文庫の裏表紙より)


Fi2621499_1e 「1997年6月27日 ワシントンDCで拳銃を持った犯罪者によって銃殺された デニス・K・アシュトン・ジュニア 7歳に捧ぐ」
↑本書の扉にある言葉。ペレケーノスは前作でも、地元ワシントンDCで犯罪に巻き込まれて死んで行く貧困層の子供たち(主にアフリカ系)の多さと、それが1行のニュースにもならないことを嘆いたが、今作はそこにテーマを集中して書き上げた作品。

自分をコケにしたからという理由だけで人を殺す若者たちはどうしようもなくひどいやつらだ。しかし、ペレケーノスの小説は、そんな極悪人にも、親がいて友達がいて、どこか人間らしいところを持っていることを必ず描く。一方で、強さと優しさを備え、完ぺきなマン(男)に見えるストレンジにも、人にはおおっぴらに言えない欠点を持たせ、弱さを持った人間に変わりがないことを描く。

ペレケーノスの人間に対する優しい視線が好きだ。今作は読み終えた瞬間に、胸がいっぱいになった。軽い読み物と侮るなかれ。綺麗ごとと言うなかれ。こういうストレートな主張をもった小説もあるべきなんだと思う。
そして、音楽の使い方は相変わらず、自分の趣味のど真ん中。音楽の趣味が合う人は、それだけで信用してしまうという、別の作家の小説にあった言葉をまた思い出す。

ストレンジとは、ウエスタン映画好きという共通の趣味を持つ相棒のクインが、ジェイムズ・カルロス・ブレイクの小説を読んでいるシーンが出てくる。ペレケーノスもやはり意識しているのだろか。作風が似ているし。あと、今作登場した友人の娘婿が、次作からレギュラーとなりそうな予感で、ちょっと楽しみ。

2007年9月24日 (月)

難破した心

1953年生まれのカール・ハイアセンと、1933年生まれのD・E・ウェストレイク。世代は違うけど、ユーモアのセンスは似ていると思った。

『ロックンロール・ウイドー』カール・ハイアセン著/田村義進訳
(文春文庫 2004年邦訳)

Fi2621498_1e 株主市場主義を持ち込んだ新オーナーを面前で批判し、死亡記事担当に左遷されたマイアミ地方紙の敏腕記者ジャックは、ある日、葬儀社から送られてきたファクスの中に、一時人気のあったロックスターの名前を見つける。39歳、死因はダイビング中の事故というが、死亡記事を書くために訪ねた未亡人の言動に不信感を持ち、真相を探り始める…。

ハイアセンはデミ・ムーアの映画「素顔のままで」の原作者。というとマイナスな印象にしかならないかもね。初めて読んだけど、確かにこの人の作品は映画化しやすそう。人物たちのキャラが立っていて面白かった。実名のミュージシャンの名前がばんばん出てきて、ロック好きや、アメリカのショービズが好きな人にも受けそう。

死んだ過去の大物ロックミュージシャン、ジェイムズ・ブラドリー・ストマーティの葬儀に現れた有名人として名前が出てくるのが、ヴァン・ヘイレン兄弟、パーカッショニストのレイ・クーパー、ジョーン・ジェット、コートニー・ラブ、ティナ・マリー、ジギー・マーリー、マイケル・ペン、バアングルズかゴー・ゴーズのどっちかのメンバーだった赤毛の美人、そしてスティックやスーパートランプといったバンドで鳴らした白髪まじりの太っちょ元ロッカー・・・いったいこれはどういう基準での人選なんだろうか(笑)。

ハイアセン自身、ロックとはかかわりが深いようだ。あとがきによると、ストマーティがリーダーだった架空のロックバンド、ジミー&ザ・スラット・パピーズのヒット曲「バスケット・ケース」(本書の原題)は、ハイアセンが作った歌詞に、友人のウォーレン・ジヴォンが曲をつけて、実際にジヴォンの最後のアルバムの中で歌われているらしい。
そして、本書の中に出てくるストマーティの最期の作品「難破した心」の歌詞もなかなか良くて、物語の味わいがぐんと深まった気がする。

リストラされた妻子持ち男の話

風刺の効いた身につまされる犯罪小説。

『斧』ドナルド・E・ウェストレイク著/木村二郎訳
(文春文庫 2001年邦訳)

Fi2621497_1e 製紙会社の中間管理職の仕事を企業の合併により首となった男が、切羽詰まって思いついた奇策。それは架空の製紙会社の求人広告を出し、そこに応募してきた自分のライバルたちを皆殺しすることだった…。

主人公が再就職のために思いつくこのアイデアが秀逸!(ウェストレイクという作家は、こういうブラックユーモアな仕掛けを考え出すのが、とてもうまそう。)
あとは、引っかかった、自分の境遇によく似たカモを1人ずつ殺していくだけ・・・巻頭の登場人物一覧を見れば、作戦が成功のうちに進んで行くらしいのが分かる。しかし、その殺し方ときたら素人そのもので、杜撰もいいところ。たまたまの幸運が重なり、警察に目をつけられないことをいいことに、不当にリストラされたとの思いと、家族のためにという理由で、1人を殺すごとに次第に殺人に慣れ、正統化する理由にも磨きをかけていく様が無気味。 

「今日、われわれ(アメリカ国民)の倫理規約は、目的が手段を正統化するという考えの上に成り立っている」・・・リストラ体験から得た教訓で、二度と犠牲者にならないと誓った主人公。念願の就職を果たしたとしても、困難にぶつかったらまず邪魔者を消せの考えだけは改まりそうにない。

狐づくし

著者にとっては2度目のCWA最優秀長編賞受賞作。

『病める狐』ミネット・ウォルターズ著/成川裕子訳
(創元推理文庫 2007年邦訳)

Fi2621496_1e 生まれてすぐ里子に出されたものの継父母に恵まれて健やかに育ち、今は陸軍大尉の地位にあるナンシー・スミスのもとに、弁護士が訪ねてくる。実はナンシーはドーセットの寒村シェンステッドに住む由緒ある軍人家系ロキャー・フォックス家の子孫であり、彼女の祖父にあたる主人が彼女に会いたいと申し出ているとのこと。ナンシーはその申し出をいったんは断るが、老主人が寄越した「この件は忘れてくれ」との手紙に逆に興味をかき立てられる…。


キツネ狩り賛成派と反対派との対立(キツネ狩り禁止法は2004年に成立したが、これはその3年前が舞台)、トレイラーハウスで生活する“トラヴェラー”たちの田園不法占拠と住民との対立といった現実の英国内の話題を絡ませ、その両者を利用して老夫婦を追いつめて行く邪悪な男フォックス。その正体はさんざんほのめかされながら、ラスト近くのえ?という展開は、まさに狐につままれた思いです。物語の仕掛けの大きさと犯人の動機のギャップにこける。してやられた。

ミネット・ウォルターズはいつもドギツイ話を書く人の印象で、今作も児童虐待など悲惨な話を盛り込みながら、冷静なナンシー・スミスの存在が、そうそう悪い結末には至らないことを予感させ、なんだか安心して読めた。改めて思ったのは、ウォルターズと議論したらどんな人物でも途中で音を上げるのではないかということ。会話部分を読んでいると、相当に弁が立ちそうで、粘着質度もかなりのもの。そこが面白いんだけどもね。

2007年9月 3日 (月)

キャストが最高!

カート・ラッセルとクエンティン・タランティーノという組み合わせに、こりゃ観なきゃと、公開初日に行ってきた。

「デス・プルーフ in グラインドハウス」(2007年 米)
★★★★★

Fi2621495_1e 映画のスタントマンを自称するラッセル演じるストーカー男が、カーチェイス仕様の車を凶器に、狙った若い女性たちを次々と血祭りに上げていく…。「バニシング・ポイント」や「ダーティー・メリー クレイジー・ラリー」などのB級カーアクション映画へのオマージュをからめたホラーサスペンス&コメディ(?)。

いいねいいねー!カート・ラッセル。期待通りだった(笑)。この人はバカバカしい映画ほど輝くと思います!
そして、それに負けてないのが女性たち。みんな個性的で魅力的だったなあ。よくまあ、これだけぴったりな女性たちを集めたなあ。だらだらとくだらない会話をしているシーンがけっこう続くけど、彼女たちがチャーミングなせいもあり、ちっとも飽きなかった。むしろくだらない会話をだらだらしているところが、あとになってみるといろいろ印象に残っていて、よかった気がする。

安い映画を2本立て3本立てで上映していたグラインドハウスの雰囲気を出すためにノイズやフィルムの傷をわざと演出してるのは、あまり効果があるとは思わなかったけど、グロテスクな殺人場面が何度も出てくるのかと思いきや、最後のあの急展開!には爆笑したよ。はあースカッとした! 楽しかったー。

くせ者女優のイメージがあるローズ・マッゴーワンが出てたので、おっと思った。カップリングのロドリゲス版のほうでは主演なのかあ。そっちも観たくなってきたぞ。

車椅子ライブとは…。

土曜日、ブルーノート東京へ今回はジミー・スコットのライブを観に行った。
何度か来日していると思うが、一度は行こうか迷って行かなかったこともあり、ようやく決心。 82歳という高齢なので危惧していなくもなかったけど…。

バックバンド(サックス&フルート、ピアノ、ベース、ドラム)だけの演奏曲もあって、ジミー・スコットが歌ったのは「Sometimes I Feel Like A Motherless Child」をはじめスタンダードを、結局6曲くらいだっただろうか。
若い白人系の奥さんらしい女性に連れられて車椅子で登場したスコットは、本当にこれで歌えるのかと思うほどのおじいちゃんだった。後半は、疲れがあるのか、手で目を覆いながらという場面も多くて、ひやひやした。個性的な声質自体はあまり変わりがないが、ロングトーンで歌う元気はない。「Day By Day」を聴きたかったんだけどなあ。

客席に対してときに笑顔を見せたりしていたが、バンドメンバーがスコットや観客に対して気を使っているのが見えて、こんな状況で、日本まで来てライブをするというのは一体どういう事情だろうかと考えてしまった。

2007年9月 2日 (日)

ヴァイキングの末裔たちの島

グレートブリテン島とスカンジナヴィア半島の中間に位置するシェットランド諸島が舞台。2006年度のCWA最優秀長篇賞受賞作。

『大鴉の啼く冬』アン・クリーヴス著/玉木亨訳
(創元推理文庫 2007年邦訳)

Fi2621493_1e ラーウィック近郊、顔見知りばかりの小さな町。孤独な老人が住む家に、元旦の夜、滅多にない訪問者がある。新年のお祝いではめを外して酔っぱらった女子高校生2人。そして数日後の朝、そのうちの一人が老人の家からほど近い雪原で首を絞められ死んでいるのが発見される。町では8年前にも少女失踪事件があり、2つの事件にはいくつかの共通項が…。

「シェトランド四重奏」の第1巻とのこと。現代英国ミステリーのメインストリーム、癖の少ない小説で読みやすかった。
大鴉(オオガラス)は事件の容疑者となる老人が傷ついて飛べないのを面倒みているという場面に出てくるんだけど、イギリスでは大鴉にまつわるいろいろな話がありそうなので、そこに何か暗示が込められていたりするんだろうか。原題「Raven Black」が直接指しているのは、殺された黒髪の少女のことだと思うけど。
8年前の少女の死体が発見される場面・・・ああいう状態で発見されるのは湿地だとありうるらしい。富山の縄文遺跡で、コゴミが鮮やかな緑色を残して発掘されたりとか。
ヴァイキングの扮装をした男たちが街中をパレードをした後にガレー船を燃やすという、荒っぽそうな祭り「アップ・ヘリー・アー」というのが出てくるが、描写からするとかなり俗っぽい。この祭りに参加する男たち、目当てにやってくる観光客、夜祭りに興奮する子供たち以外は案外冷めている感じが面白かった。現代の祭りというのは大抵どこもそんなものかな。

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