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2007年7月

2007年7月29日 (日)

ボッシュ外伝

ハリウッド署3級刑事ハリー・ボッシュ・シリーズ第7弾は、コナリーの別作品の登場人物とのダブル主人公。ボッシュ側から見ればスピンオフ的内容ともいえるが、読者サービスに応えつつ、それなりに水準は保っているのはさすがだ。

『夜より暗き闇』マイクル・コナリー著/古沢嘉通訳
(扶桑社ミステリー 2003年邦訳)

Fi2621483_1e 心臓病でFBI心理分析官を辞職し、現在はLA沖の離島で妻子とともに静かに暮らすテリー・マッケイレブのもとへ、旧知の女性刑事が行き詰まった殺人事件の捜査への協力を依頼に訪れる。残忍な殺しの手口は連続殺人を予感させ、次第に事件にのめり込んで行くマッケイレブ。しかし、プロファイリングから浮かび上がってきたのは…。

ボッシュ・シリーズ以外のコナリー作品は未読。
今作はそのうち、クリント・イーストウッド監督・主演で映画化された『わが心臓の痛み』の主人公であるテリー・マッケイレブが活躍し、ハリー・ボッシュを危機に追い込むという趣向。前作『エンジェルズ・フライト』で同僚のシーアン刑事が追い込められた立場にボッシュも立たされるのか! 前警部補にまつわるボッシュの後ろ暗い過去を知る者としては油断できない展開です。
さらにもう一つのコナリー作品『ザ・ポエッツ』の主人公でルポライターのジャック・マカヴォイまでが登場し(この人はこれまでにもボッシュ・シリーズに脇役で登場済みだったよな、確か)、話をますますややこしいほうへ導く。

著者の思い入れがたっぷり反映されているであろうそれぞれの作品の主人公、ボッシュとマッケイレブの性格が似ているのは仕方ないかしら。
今作のもう一つの面白さは、画家ボッシュの作品が題材として用いられているところ。文庫の表紙にその作品が印刷されているのは嬉しい心遣い。読んでいる途中で何度も本を閉じて見てしまいましたよ。

2007年7月22日 (日)

男の立場なし!

渋谷の映画館にて。
主要人物は女ばかり。客席も女性2人連れが多かった。

「ボルベール〈帰郷〉」(2006年 スペイン)
★★★★

Fi2621482_1e うーん、なんだかペドロ・アルモドバル作品らしくなかったよ。
音楽がかなり地味なところが輪をかけて…。
ミスディレクションにまんまとはまり、死体の処理をどうするかをワクワクしながら見守っていたが、無難なところにもっていかれました。映画のテーマからしたらそれでよかったとは思うが。

しかし、期待どおりとはいかなかったものの、かなり衝撃的な内容を含みながら、あっけらかんとし、母と娘の絆というほのぼのと心温まる映画に見せてしまう(錯覚させてしまう)ところがやはりアルモドバルかも。
それと、あの血に染まっていく大量のペーパータオル! 
ぐわー、グロい! なのに、あのシーンは好き(笑)。

カトリック圏における母親の存在感は独特なものがある。どんなに孤独で辛い状況でも、母の愛さえあれば癒されるといったような。
叔母の葬式シーンが印象的だった。男女が別室で死者を弔う風習なのか? あそこにいた村の女性たちも、事の裏側に実は気付いておりながら口を閉ざしていたのかもと考えると可笑しい。

お人形のようなペネロペ・クルスがスペイン語を話すと、不思議と庶民的なリアリティが出て、親しみを感じる。それにしても見事な胸の谷間でしたね!

ケーキの中の髪の毛

ハリウッド署刑事ハリー・ボッシュ・シリーズ第6作。

『エンジェルズ・フライト』マイクル・コナリー著/古沢嘉通訳
(扶桑社ミステリー 2001年邦訳『墮天使は地獄へ飛ぶ』改題)

Fi2621481_1e 過去にロス市警を何度も告訴してきた人権派黒人弁護士が、ダウンタウンにあるケーブルカーの中で射殺死体として発見される。その弁護士によって市警に対する新たな訴訟の裁判が始まる直前のことで、マスコミ等世間の反応を予測した上層部は、黒人警官の部下を2人抱えるボッシュを捜査担当に任命し、無難な解決をはかるよう暗に強要する…。

少なくとも前半に関しては、これまでのシリーズ作品の中で一番面白い!
複雑な背景設定によって、捜査を困難なものとする状況が次々と畳みかけるように現れてくる。このあたりが今作は抜群に巧い! “エンジェルズ・フライト”とは殺人現場となったケーブルカーの愛称で、1台が上昇すると1台が下がっていく仕組み。これが物語の中でさまざまな隠喩として解釈できるのも面白い。

結末は、シリーズを読み続けていないと不自然に感じられるか? いや、前作までを読んでいるからこそ衝撃的かもしれない。暴動のシーンは芝居がかっているように感じたが、うまくまとまった感。公僕にとっては死後の名誉も不名誉もどうでもいいことなんだなあ。公僕に限らず、組織の中で生きる人間なんてそんなものかしら。すっきりとした勧善懲悪を求めるピュアなハートにはハードすぎる世界だぜ。

市警察副本部長のアーヴィングが相変わらず、何を考え、どう出てくるか予測つかない。立場は分かるんだけども、人間味を露にしないまま存在感だけはある。個人的にボッシュの相棒エドガーがいまだ信頼おけず、途中、些細な疑いをかけて読んでいた。ごめんね、エドガー(笑)。

2007年7月 9日 (月)

私家盤・元気になる音 その33

ジャッキー・マクリーンmeetsゲイリー・バーツ。キャリア的には一世代ほど違うアルトサックスの共演。2人ともあまりアルトアルトしていないところがお気に入り。バックのピアノ、ドラム、ベースはこの頃のマクリーンのバンドメンバーかな。技量的にはそれほど秀でた演奏ではないかもしれないが、アルバム自体は好き!
1973年録音のスティープルチェイス盤。

Jackie McLean & Gary Bartz 『Ode To Super』

Fi2621480_1e アルバムに出会ったのは30年近く前。当時はゲイリー・バーツのサックスに惹かれており、自分もこんなソロが吹けたらいいなと、3、4曲はきっちり採譜もしてみた。ジャッキー・マクリーンについては名演と呼ばれるものが他にいろいろあるし、ここでもソロフレーズをちょっと聴けば、ああいつものマクリーンだと分かる。でも、ゲイリー・バーツがこれだけオーソドックスな4ビートジャズをやっているアルバムは珍しいと思うので、貴重なのです。

1曲を挙げるとしたら、アルバムタイトルにもなっている「Ode To Super」。少し憂いを帯びたドラマチックなナンバーで、2人のサックスによく合ってる。8小節ずつ交互に吹くテーマ部分でのマクリーンの音色のもつ説得力はさすが! バーツはソロがいい。何かのミュージカルの曲らしく、曲の終わりで2人がいきなりユニゾンで歌い出すんでたまげる! 微妙に合ってないのにかっこいい。ニヤニヤする。

後は、マクリーン作曲のファンキーなナンバー「Great Rainstreet Blues」、そしてラストに入っている「Red Cross」もなかなかよいです。アルトサックスのバトルといったらパーカーの曲! いやが上にも盛り上がるね! たまに聴くと、やっぱり魔法だと思う、パーカーのアップテンポな曲は。誰が演奏していても楽しいもんね。


で、派手ではないが妙な色気のあるゲイリー・バーツのこと。

私はもともとテナーサックスが好きだった。でも、女が演奏すると身体的にハンディが大きいかもしれないと思い、最初に始めた楽器はアルト。これが後で思うと、アルトもテナーも使う身体能力にそれほど違いはなかった。むしろやりたい楽器にたどり着くまで、ずいぶんな遠回りをした。頭の中にはいつもテナーの音やフレーズが鳴っているのに、手にしている楽器はアルトというのは一種の同一性障害みたいなもので、やっぱりどうしてもアルトには馴染みきれずにテナーに転向したときには、自分で言うのも変だけど「けっこうまともにサックス吹けるじゃないか」と驚いた。水を得た魚の心境?

というよりは、単にテナーよりアルトのほうが難しい楽器ってことだと思う。テナー好きということもあり、憧れのテナー奏者はたくさんいたが、アルトの場合は、あの人は音色は好きだけどやってる演奏スタイルは古くさい、または個性的すぎる。あの人はフレーズは面白いけど音色はいまいちだなどと、理想のアルトを求めていちいち難癖つけながら聴いていた。今から思うとおバカな話。しかし、それだけ個性が出やすく、アクが強くなりがちな楽器なんじゃなかろうか。
また、さらにアルトという楽器においてはチャーリー・パーカーの影響が絶大すぎ。多くのアルト奏者が、時代を経て曲調はモダンになっても、ソロのフレーズとなるとビバップ時代からあまり変化していないというのが、コルトレーンをきっかけにジャズを聴き始めた自分には大いに不満だった。

そんなこんなでアルトを学んでいたときは、モード以降に登場した知名度的には二流・三流のアルトの人ばかりを漁って聴いていたのだが、ゲイリー・バーツを見つけたときには、これぞ私が手本とすべきアルト! と浮き立った。コルトレーンのフレーズをそのままアルトでやってしまうような人だが、ときどきエモーショナルで美しいメロディを聴かせる。バーツを二流と言っては失礼かもしれない。しかし、少なくとも私が熱心にジャズを聴き始めた70年代終わりには、人気のあるアルト奏者といったら相変わらず昔からの人たちばかりだった。

しかし、そのゲイリー・バーツのアルバムが、最近やたらCDで再発されているんで正直驚く。当時よりよっぽど入手しやすいなんて! 今聴いて面白いアルバムばかりではないと思うんだけどね。

2007年7月 8日 (日)

沖合の島の殺人

1962年刊行の『女の顔を覆え』で初登場。今は警視長の重職に就くアダム・ダルグリッシュ・シリーズ最新刊。ポケミス1800番突破記念作品てことで定価も1800円(?)。自分にとっては毎度、本の扉を開く瞬間からわくわくするシリーズの一つ。

『灯台』P.D.ジェイムズ著/青木久惠訳
(早川書房 2007年邦訳)

Fi2621479_1e_2 コーンウォール沖に浮かぶカム島は、VIPのみを受け入れる高級保養地。その島で世界的に著名な小説家が、首吊り死体となって灯台の外壁にぶらさがった状態で発見される。政府要人による極秘の国際会議の会場にもなるという島の特殊性ゆえ、捜査にはロンドンからダルグリッシュ警視長のチームが派遣され、部下のケイト・ミスキン警部、フランシス・ベントン・スミス部長刑事の3人だけで捜査にあたることに…。

ジェイムズが85歳にして書き上げた今作は、閉鎖された環境での連続殺人事件。外部からの出入りは不可能だし、容疑者の数は限られているという、本格ミステリーの定番ともいえる設定で、いつもに比べて、かなり読みやすかった。
でも、特に殺された作家の一人娘の人物設定などはやはり一筋縄では行かぬというか、ちょっぴり意地悪にも思える鋭い視線で、人の本性を暴くように、そしてそれがごく当たり前な人間像のように描くところは相変わらずジェイムズらしくあり、そういうところが好きでいつも読む。

内容がすっきりしていて、いつもほど複雑なプロットではないのに加え、終わり方が妙に晴れ晴れとした明るい雰囲気なのが気になった。もしかしたら、これをもって、または次作をもってシリーズ完結?なんて考えてしまったよ。本書に登場する作家はとことん冷酷なやつで、しかし、老いによる作家としての能力の低下におびえているらしい描写がある。ジェイムズにはそんな心配はまだまだ無縁に思えるけど。

2007年7月 3日 (火)

小鳥さんに合掌(-人-)

クリストファー・ノーラン監督は、話題となった「メメント」こそあまり内容が好きではなかったが、「インソムニア」と「バットマンビギンズ」で見逃せない監督になった。映像から伝わってくる独特の陰鬱さと重厚感が好きだ。その監督の最新作が、「何でもあり」というイメージが自分の中で定着している19世紀末のロンドンを舞台としているというのだから、ますます期待が高まるってものだ。

「プレステージ」(2006年 米)
★★★★★

Fi2621478_1e_2 修行中からライバルであった2人のマジシャンが、ある女性の死をきっかけとして互いに憎み合うようになり、復讐を込めたイリュージョンバトルを繰り広げたあげくに行き着いたのは…。
よくできた話だと思ったら、原作があった。クリストファー・プリーストの『奇術師』。本が出た当初日本でも話題になっていた記憶がうっすらとある。

この映画の感想は非常に書きにくい。印象的部分を具体的に書こうとすると、ずばり映画(マジック)のネタバレにもなってしまいそうだ。いつもは「まあいいか」とネタバレを書いてしまう私もさすがに遠慮する。映画の冒頭にも「口外しないで」との断り書きが出るしね。でも、やっぱり、以下は漠然とネタバレしていると思う・・・。注意です。


貴族出身のロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)と、おそらく労働階級出身と思われるアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベイル)(そもそもライバル心の源は、この生い立ちの違いだろうか・・・)。
2人がそれぞれに完成させることになる「瞬間移動」のイリュージョンが、タネ明かしをされてみれば、人を食ったような仕掛けだ。映画(マジック)を観る前に知らされたら、コメディと勘違いするよ、きっと。もしくは人によっては、片方は非現実的で反則だとガッカリするかも。でも、自分はふだんから手品の類いにほとんど関心がないせいか、トリックが現実的でも非現実的でもどっちでもよくて、人を騙すことができればマジックってことでいいんじゃないかと思って観てた。映画が描いているのは、2人のマジックに賭ける異様な執念であり、瞬間移動のタネはそのことを表現するための道具にすぎない。仕掛け自体はなんであれ、この執念ゆえに2人は天才と呼ばれるにふさわしい。

2人が世紀のイリュージョン完成のために「犠牲にしたもの」というのがとんでもないのだ。ボーデンのほうは、敵国に一生潜伏を覚悟したスパイの心理と似ていると思われ、まだ少しは理解できる部分がある。しかし、アンジャーのほうは、まさしく悪魔に魂を売った男。あの瞬間のアンジャーの気分を想像することは、未知の恐怖を覗きみる思い。後からじわじわと効いてきて、参ったよ。
面白かったです。時代を再現したセットなども素晴らしかった。

ところで、登場人物の一人、いかがわしげな科学者ニコラ・テスラ(デヴィッド・ボウイ)が、実在の人物とはまったく知らないで観たもので、彼がトーマス・エジソンに雇われた男たちに追われているという意味がよく分からなかったのだが、後で調べてみて納得した。つまり映画の中には、もう一組の天才たちの熾烈なライバル争いが描かれていたんですね。
エジソンといえば昔から子供が尊敬する偉人の代表格だが、この映画に登場する(名前のみだけど)エジソンはかなりブラックなイメージ。実業家としてのエジソンがけっこうエグいことをやっていたとしても驚かないけど、それをほのめかしながら描いているのが愉快。
ついでにWikipediaのテスラの項目を読んでみた。エジソンとの確執は映画のイメージを超えていた(笑)。かなり面白い。エジソンの項目に書かれているテスラへの嫌がらせもかなり面白い。ノーラン監督、本当はこっちの2人の確執を描きたかったんじゃなかったりしないか。

2007年7月 1日 (日)

DDRノスタルジー

ドイツ・ミステリ大賞を受賞しているシリーズの第1弾。著者の本業は政治評論家で現代史家だが、シリーズ途中までは、覆面作家としてその正体が伏せられていたそう。

『カルーソーという悲劇』アンネ・シャプレ著/平井吉夫訳
(創元推理文庫 2007年邦訳)

コピーライターの職を捨て、フランクフルトから小さな村に移り住んだパウル・ブレーマー。周辺で頻発する馬殺しと放火事件。そんななか、女農場主アンネの夫が、殺されて食肉用冷蔵室のフックに吊り下げられているのが発見された。犯人はパウルが思いを寄せるアンネなのか? パウルと親友の女検事カレン、郡警察警部コジンスキーの個性派トリオが行き着いた悲劇的真相とは…。
(出版社サイトより)

Fi2621476_1e ドイツのミステリーは珍しいと思い、読んでみた。文体が少しぎこちなく慣れるまで読みづらいが、英国ミステリーに似たユーモアが感じられる、ミステリー小説というよりは、登場人物や背景の魅力で読ませるミステリー小説もどきでしょうか。
主人公のパウルは広告代理店勤務に嫌気がさし、業界の暴露本を書いて生計を立てようとの目論みのもと、田舎に家を買って移り住むのだが、家畜の糞尿の匂い、無神経な騒音、おしゃべりな隣人、監視されているような周囲の目など、覚悟していたこととはいえ、田舎の生活に慣れるのに四苦八苦している。そのさまが面白い。
やがて殺人事件に絡んで、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツの諜報機関シュタージの話などが出てくると、私には耳慣れない言葉がいくつか出てきて難しくなる。でも、いかにもご当地ミステリーといった感じで興味深い。東西ドイツ統一なんて、もう大昔の出来事のような印象でいたけれども、ドイツでは現在もいろいろな影響を引きずっているんだろうなという、当然なことに思い当たったりした。

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