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2006年12月

2006年12月25日 (月)

ありがとう!JB

巨星墜つ。でも突然すぎだよ、ジェームズ・ブラウン。それもクリスマスに亡くなるなんて…。これからはクリスマスといったら、ジェームズ・ブラウンの命日。忘れようにも忘れられない365日の中の1日になってしまった。

ジェームズ・ブラウンは私の好きな音楽の核にいる。音楽はライブだ。彼の音楽ほど、ライブで体験して“楽しい”ものはない。集団で奏でられるリズムを体感することの至福、音楽の恍惚をJBから教わった。一人一人の個性的なリズム、それがひとつの大きなグルーブを生む。そんなJBの音楽を最上のものとして崇めてきた。

繊細さを潜めたパワフルなものが好き。生命力に溢れるものが好き。というあらゆるものに対する嗜好も、JBが後押ししてくれた。

ありがとう!JB。やすらかに、なんて言葉は果たしてふさわしくないかもしれない。きっとこれからもずっと彼の周りは賑やかだ。さっそくにも天国で子分を集めてセッションを始めていそうだもの。

2006年12月23日 (土)

またもやテックスメックス

レンタルDVDで鑑賞。いつもどおりネタバレ。
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(2005年 米/仏)
★★★★

Fi2621415_1e メキシコ国境に近いテキサス州。初老のカウボーイが親しくしていた不法就労のメキシコ男性が射殺される。カウボーイは新任の国境警備隊員が犯人であると知り、彼を拉致誘拐して、メキシコ人の遺体を生前の約束どおり故郷のメキシコの町へ埋葬しにいく旅の道連れにする…。

うーん、西部劇テイスト。時間が激しく行ったり来たりするので、最初は取っつきにくいが、ロードムービーになってからが面白い。トミー・リー・ジョーンズが監督/製作/主演を兼ねた低予算ムービー。好きな映画を作るために、日本の缶コーヒーのCMにも出てるのかなとちらっと思ってみたりして…。

でも、これは「アモーレス・ペロス」も手掛けたギジェルモ・アリアガの脚本がかなりいいのかもしれない。カンヌ映画祭でも男優賞とともに脚本賞を受賞している。ある程度、ストーリーは読めてしまうので(ラストは読めなかった…)、トミー・リーも悪くはないのだけど、もっと思い切って斬新な映像を撮る別の監督が手掛けていたらどうなっていただろうとつい想像してしまう。

亡くなった友との約束をなんとしてでも果たそうとする男気なカウボーイの物語だが、年長の男が、荒治療でもって、自分が何をしたかが理解できず一人苦しんでいた若者に贖罪の機会を与える話でもあると思う。きっと最初からそのことも意図して行動していたであろう包容力のある初老のカウボーイ役にトミー・リー・ジョーンズはふさわしかったが、罪を犯した国境警備隊員役のバリー・ペッパーがなんといっても熱演だったし、その妻役のジャニュアリー・ジョーンズは初々しく魅力的だった。二人はハイスクール時代の人気者同士が結婚したという設定で、いまだ過去の栄光を引きずっているような一種のかっちょ悪さが出ていたと思う。

以下、印象に残ったところ。
・メキシコのラジオ放送を聴く盲目の老人。ここでまんまと映画にはまった! 
・国境の川を渡るシーン
・群生する黄色い花
・夕暮れのメキシコパブ
・フレディ・フェンダーの「Before The Next Teardrop Falls(涙のしずく)」
 ↑この曲がめちゃ懐かしかった!

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「ウェディング・クラッシャーズ」(2005年 米)
★★★

葬式でのナンパ成功率が高いらしいという話はたまに見聞きする。ナンパのつもりはなくても、葬式で哀しみに暮れる男女が出会って一夜をというのは、小説などでもよくあるシチュエーション。でも、これは、見知らぬ他人の結婚式に潜りこみ、美女を見つけてはナンパするのを趣味にしている2人の男性の話…。

ショウビズCountdownで映像を何度も見ていたので、アメリカではかなりヒットしたと思うのだが、日本ではビデオスルー。コメディ洋画の劇場公開するしないの基準はどうなっているのでしょう。

オーウェン・ウィルソンとヴィンス・ヴォーンなんて、豪華な組み合わせじゃないですか! おまけにクリストファー・ウォーケンが主要キャストで出てるし! ウォーケンがコメディアクトで登場する映画に、ハズレはまずなし!(と思う。単にウォーケン贔屓) さらにウォーケンの妻役がジェーン・シーモア。とにかくキャストはよいのだ。

でも、あまり笑えなかった…。ストーリーのひねりが不足してるし、ヴィンス・ヴォーンの持ち前のキャラに頼りすぎかな。彼のしゃべりは原語だと面白いのかもしれないけど、字幕では伝わらないようだった。

2006年12月18日 (月)

コロンブスの卵的な2部作。

戦後生まれの日本人の私から見て、ほぼ違和感のない内容に仕上がっていた。というより、まるで日本人が撮ったみたいな映画だった。観ていて途中からかったるく感じてしまった間の取り方まで…。単調な地下壕のシーンが多かったせいもあり、上映時間はちょっと長く感じた。

「硫黄島からの手紙」(2006年 米)
★★★☆

硫黄島での戦いを、日米双方の視点から2部作にして描くという試みは、アメリカでのこの第2弾の評価の高さを見るに大成功だったようで。日本の兵士にもいろんな人間がいたことを描いた映画が、敵国だった国で高評価というのは、やはり悪い気はしません。

「父親たちの星条旗」の中のあのシーンが、この映画ではこのシーンと、描かれている場面まで同じで、ほほーっと感心しつつも、純粋に映画としての面白さは「父親たち…」のほうが勝っていたかなと思う。例えば自決のエピソードは、外国人にはいまだショッキングなハラキリシーンかもしれないが、日本人には特に目新しさはなかったりするし、ほかの回想エピソードも同様。でも、外国人がこの映画を観て、同じ人間としての共感を深めるとすれば、それはそれでよしです。
俳優では加瀬亮が印象的だった。あと、栗林中将と対立して本土に返されてしまう人。演じた人の名前は分からないけど、私なんかが思う昔の日本人はまさにあのイメージ。

そういえば、「父親たち…」の映画では、亡くなった兵士らの両親が登場したけど、こっちの映画では家族の映像は、唯一、身ごもった妻のみだったと思う。日本人が撮った映画なら、ほぼ間違いなく、年老いた母親の映像を加えて、涙を誘うエピソードに仕上げていたのではないか。
そういうシーンが欲しかったわけではないけど。

2006年12月17日 (日)

ヒエロニムス・ボッシュ刑事が暴く闇。

ハリウッド署殺人課勤務のハリー・ボッシュ刑事シリーズ第3弾。

『ブラック・ハート』マイクル・コナリー著/古沢嘉通訳
(扶桑社ミステリー 1995年邦訳)

Fi2621413_1e 死に顔に化粧を施すことから“ドールメイカー”と呼ばれた連続女性殺人犯を、逮捕の際に自己防衛から発砲して殺してしまった過去を持つボッシュ刑事。それから4年、犯人の妻が夫の無罪を主張し、敏腕女性弁護士を雇ってボッシュを告訴。そして、裁判開始の朝、ボッシュの元に真犯人を名乗る男からメモが届き、ドールメイカーと同じ手口で殺された女性の遺体が発見される。ボッシュが殺した男は人違いだったのか…。

一言でいって手堅い面白さ。人気のある作家というのがよく分かるわ。事件の真相が、毎回ものすごく身近に転がっていすぎるのだけど、むしろそれゆえハードボイルド・ミステリーの王道という気もするし、シリーズの残りも必ず読むぞー!
被告人となったボッシュは、審理の休憩時間になると裁判所を抜け出して屋外に設置されている喫煙所で一服。なにげないこういうシーンが好き。

ボッシュの本名はヒエロニムス・ボッシュといい、母親が好きだった15世紀の幻想画家から名づけたという話が毎回繰り返し出てくる。私はスペインのプラド美術館で見て、初めてこの画家を知ったに等しく、どことなくユーモラスでホラーな絵に魅入ってしまったのだけど、その後、バルセロナ近郊のシッチェスという町(夏になるとヨーロッパのゲイが集まるビーチリゾートとして有名)に行ったとき、その絵に登場する奇怪なキャラクターの置物を売っている店があって、欲しいという気持ちと、これを部屋に置く気はしないという気持ちの板挟みになって、店の前を行ったり来たりした。

で、画家ボッシュ(ボス)の絵と、この小説もしくはボッシュ刑事のキャラクターにどんな関係を持たせているのか、ずっとピンと来なかったのだが、先ほど調べてみたら、画家ボッシュは人間に潜む悪魔的な部分を暴いてみせる画家というような評価をされているらしく、納得した気分。

2006年12月16日 (土)

ブラコンの果て?

各賞を総なめした問題作の文庫化と紹介されていたので読む。
『最後の晩餐の作り方』ジョン・ランチェスター著/小梨直訳
(新潮文庫 2001年邦訳)

Fi2621412_1e レストラン批評などを書いていた雑誌編集者の小説デビュー作。 美食家で博識、独善的な男=「私」が、四季のおすすめ料理を、こだわりのレシピや自らの思い出話を織り込みながら語る。序文のオチの一文で、こりゃ笑えるかも!と期待したが、一つ一つのユーモアらしきものは読むほうも博識でないとついていけない…。

食べ物の話には目がない人やヨーロッパ文化全般に詳しい人、かつブラックユーモアの分かる人には、楽しい本かもしれない。でも、料理への執着とサイコスリラーの組み合わせ効果は作家が意図したほどではなかったのではなかろうかと思いました。読んだ後に気付いたのだが、文庫本の裏表紙にある解説文は読む人によっては興醒めの内容なので、読まないが吉。

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しばらく積ん読だった本。
『絞首台までご一緒に』ピーター・ラヴゼイ著/三好一美訳
(ハヤカワ文庫 2004年邦訳)

Fi2621412_2e 女子師範学校の学生ハリエットは、同級生に誘われて寄宿舎を抜け出し、テムズ河での深夜の水遊びに興ずるが、一艘のボートが通りかかり、身を隠そうとして危うく一人流されそうになる。そして翌日、そのテムズ河の付近で他殺死体があがり、彼女は警察に協力を頼まれる…。

舞台は19世紀末のロンドン。巷ではジェローム・K・ジェロームのユーモア小説『ボートの三人男』が大ベストセラーになっている…。というのが前提で、さらに、この小説の筋や章立ても『ボートの三人組』に倣った一種のパスティーシュ小説。同じ時期の切り裂きジャックの話題も出てくる。

やっぱりこれは、元になった小説を読んでいないと、面白くないのではないだろうか、どうだろうか…。

2006年12月10日 (日)

日本のアウトローの歴史

面白かったです、教科書では触れられない日本史。これを先に読んでたら時代劇ドラマの「暴れん坊将軍」の見方も少し変わってたかもしれない(笑)。

『やくざと日本人』猪野健治著
(筑摩文庫 1973年初版)

Fi2621411_1e 戦国末期のカブキ者や侠客の登場から、本の改訂時に補足された平成の暴力団対策法の施行まで、約500年に及ぶやくざの歴史と、時の権力者・体制側との密接なかかわりを綴った本。知り合いに父親が極道で、自分は以前はテキヤをやっていたという人がいて、やくざなの?と聞いたら、やくざは蔑称だから極道と言えと冗談なんだか真剣なんだか諭されて気になって読んでみた。
ちなみに、一時はテキヤすべてがやくざに分類され、私もてっきりやくざ直属かと思ってましたけど、そうではないようです。

親分子分の強固な絆を特徴とする任侠やくざのルーツは、江戸時代の町火消しや定火消し(臥煙)という説には説得力があります。あと、日本の政治との表裏一体のかかわりも、こういうふうに歴史を追って説明されると、なるほどなと思います。日本には西洋の民主主義とは相容れないものが綿々と受け継がれている感じ。

政界にまで進出したある親分のエピソードのところに<「思想やイデオロギーではなく、心情的共感によってしか人間関係を結ばない刺客型日本人の側面をよく表している」という文章が出てくるのだけど、これってやくざに限らず日本人そのものではないかという気がする。建設業界などの談合体質や下請け・孫請けの仕組みは、やくざ的精神ややくざ組織の構造と今もまったく変わりなさそうだし、心情的共感なんて言っているのは利用されるほうだけで、利用するほうは昔から自分に有利かどうかがすべてじゃないのかな?

日本のやくざは、完全な利潤追求団体である西洋のギャング組織と異なり、義理人情に絡んだ無報酬の仕事も数多くやってきたし、今もその伝統が残っている。しかし、警察によるやくざ追及が合法的企業にまで達すれば、彼らは欧米ギャング並みのシンジケートに転化するだろう……。と、著者は1973年の時点で書いているのだけれども、確かに500年もの歴史があって日本社会に深く根を下ろしてきた問題を、特定の暴力団の行為を禁止するだけで簡単に解決できるとは普通に思えないわけで、代わりに中国などの海外マフィアが浸透してきているという噂はよく聞くし、昨今、儲けのためなら平然とモラルに反したことをする一般企業が目立つのも、日本のヤミ世界の急激な構造変化と何やら関係があるのではないかという気がします。

2006年12月 5日 (火)

実感できる未来。

「トゥモロー・ワールド」(2006年 英/米)
★★★★★

Fi2621410_1e 原作者P・D・ジェイムズのファンとしては、観に行かないわけにはいかないでしょう! と言いながら、原作となった『人類の子供たち』(ハヤカワ文庫)はあまり好きではない。現代英国ミステリーの女王によるまさかのSF小説はいつもよりも気難しく、最後まで盛り上がれず、内容もほとんど覚えていないくらいで私には難しすぎた。でも、この映画は面白かった!
原作とはオープニングはそのまま、しかし、後半は大幅にストーリーが違っていた。脚本も手掛けたメキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン監督、あっぱれだな。やっぱり今は中南米出身の監督の作品が面白いのだろうか。キュアロン監督の他の作品では「大いなる遺産」も大好き。あまり目立った評価されてないようだけど、私の中では名作認定。

以下ところどころ面白かったところネタばれ。

時代は西暦2027年。といっても現在との著しい違いは、もう18年間も人類の子供が誕生していないことくら(子供の代わりのように、誰もが犬を愛玩している)。そして舞台となるイギリスは、ヨーロッパ大陸から押し寄せた違法移民であふれている。なぜイギリスがこんな状態になっているか、その理由は容易に想像がつく。テロ・内紛の悪化、貧富の格差、地球温暖化、食糧不足、島国だから免れた何か世界規模の惨事…。過去のどこかでボタン一つ掛け違えていたら、すでに今こうなっていても不思議じゃない気がするパラレルワールド。さらに、人類があと数十年で滅びるとなったら、抑制されていたものが一気に吹き出し、暴力が横行し、一方で鬱病者、自殺者が続出するだろう。そりゃ文明も退化するよ。
テロによる爆破と貧困層の増加で荒んだ街は、今より少し前の時代のようにも見える。移民の増加に関しては、近い未来、世界で最も難しい問題となるのではないか。そう感じるのは、私自身が移民が押し寄せてくるかもしれない国に住んでいるせいでもあり、正直言ってテロなんかよりよほどの身近な恐怖。ヨーロッパの先進国ではすでに大きな問題となっているようだが、SF映画を観て、差し迫る現実を実感したのはひさびさでした。

ムダのないストーリーも良かったけど、映像も素晴らしかったです。日差しのないシーンが多くて陰鬱だけども、美しくて見惚れました。あと、小物などの演出も細部まで行き届いていて目が離せません。銃で撃たれた人を介抱しようとしたその次のシーンでも、しっかり手に乾いた血がこびりついていたりとか、ビーチサンダルのペタペタいう足音までちゃんと入っているところとか、当たり前の辻褄合わせが当たり前にできているってすごいなと思ったけど、後で考えたら、あえてそういう辻褄確認を観客に随所でやらせる、そうして主人公と一緒にその場にいるような錯覚をより深めるという手法をとっているんだと気付きました。

出演者はクライブ・オーウェン、ジュリアン・ムーア、マイケル・ケイン、そして個人的に黒人系俳優では今一番好きなキウェテル・イジョフォーと、渋い! 音楽の使い方も面白かった。映画館で上映を待っているときにキング・クリムゾンが流れてきて、これ一体どんなSF映画に仕上がっているんだ? と一抹の不安を覚えてしまったわけですが(クリムゾンは大好き)、無理なく使われていました。ピンク・フロイドの豚も笑。1961年生まれのキュアロン監督の趣味も反映されているのだろうか。原作には登場していないディラン、シドという人物名とか…。

登場人物の名前といえば、主人公セオが身を挺して守ろうとする女性の名前は、原作では「ジュリアン」なのに、映画では「キー(Kee)」という名前になっていて、役柄的にKey(鍵)を想像させます。そしてなぜか映画の中では「ジュリアン」がセオの元妻の名前となっていて、原作の結末を知っているとこれまた意味深なのです。

そんなこんなでいろいろと想像が膨らむ、興味深い映画でした。違法移民たちの隔離地区での戦闘シーンは、息をするのも忘れるほどの臨場感、かつ劇的な展開。国軍の兵士が十字を切るシーンあたりでは、もう涙が堪えきれなくなってボロ泣き。しかしその直後、誰もが無言のまま何事もなかったかのように…。あそこでさらにやられたと思いました。

2006年12月 2日 (土)

ギャングが仕切る島

『荒ぶる血』ジェイムズ・カルロス・ブレイク著/加賀山卓朗訳
(文春文庫 2006年邦訳)

Fi2621409_1e メキシコ湾に面したテキサス州ガルヴェストン一帯を縄張りとする大物ギャングのマセオ兄弟に、殺し屋として雇われているジミー・ヤングブラッド。殺しとなると途端に非情になれる彼には、メキシコ革命時“肉食獣”の名で恐れられた闘士の血が流れている。革命家パンチョ・ビリャの部下で、一度に300人を銃殺した男の血だ。しかし、ジミーは10代のときに成り行きで人を殺すまでは、この実父のことは何も知らず、カウボーイに育てられたのだ…。

メキシコ生まれでテキサス育ちの作家、ジェイムズ・カルロス・ブレイクの邦訳2作目です。文庫本の表紙が、日本の極道映画を思い起こさせるのだけど、ストーリーもまんまVシネ系の極道ものみたいでおかしかったです。でも、青春小説であり、運命の人の出会いといった恋愛的要素もあるので、これは案外、女性も楽しめるピカレスク小説ではないかと思います。ブレイクの文章がスタイリッシュでありロマンチックであり、そして重苦しくなくけっこう読みやすい。

やっぱり好きだなあ。メキシコとかテキサス南西部とか。アメリカの小説だったら、この国境付近を舞台にしたものならとりあえず読んでみたいなという気がしています。

ガルヴェストンは聞き慣れない地名だったので、調べてみた。ボクシングのジャック・ジョンソン、ミュージシャンのバリー・ホワイトなどがこの地の出身。ジャン・ラフィットという伝説的海賊も。姉妹提携都市には新潟市の名前が。雪国と・・・どういう縁なんだろう。

空母みたいな孤島。

仕事がやってもやっても途切れないー! 休日にスーパーで生鮮食品を買っても結局は腐らせるだけなので、しばらくは朝・昼・晩とも食事はコンビニです! ブログも滞ってて、忘れないうちにさくっとメモっておこうと思います。2週間前に観た映画。いつもどおりネタばれを含む。

「父親たちの星条旗」(2006年 米)
★★★★☆

整然と列を作って硫黄島に向かう途中の軍艦から、若いアメリカ兵の一人が誤って海に落ちる。甲板にいる仲間の兵士たちは、最初は笑って見ているが、たった一人の兵士を救出するために整列を乱してまで船が停止することはないと気づくと、一転して沈鬱な空気となる…。まだ幼さも残るアメリカ兵たちのその後を暗示するシーンで、この時点で彼らには同じ人間として当然の同情を覚える。
でも次に、アメリカの軍艦にぎっしりと取り囲まれた硫黄島がスクリーンに映し出されると(実際のロケ場所はヨーロッパのどこからしいが)、なんともいえない複雑な気持ちになるんです、これが。日本人として「やめてくれー! 来るな! 近寄るな!」という思い。戦争映画を観て、こんなふうに感じたのは正直初めてかも。映画館で観なかったら、この微妙な感情が引き出されることはまずなかっただろう。

硫黄島での戦いを日米両方の視点から描く硫黄島2部作の、この1作目では、日本人兵士の姿はほとんど描かれない、つまり「敵が見えない」のだけど、それは映画のテーマを明確にするうえで効果的だったと思う。

兵士に志願し、戦場に向かった理由はさまざまだろうが、結果的には「ぼくたちは仲間のために戦ったんだ」というモノローグへと繋がる。戦場の仲間たちを思うと、一緒に戦い続けるしかなかったんだと。1枚の写真から、戦争の資金集めのための広告塔として英雄に祭り上げられてしまう主人公の兵士たちは、英雄扱いに戸惑い、仲間が次々に死んでいく実際の戦地では、英雄もくそもあるものかという思いをだんだんに強くするが、しかし、息子を亡くした遺族に対しては「あなたの息子は英雄だった」と伝える。国家が「戦争で亡くなった兵士たちこそ英雄」と言うと胡散臭いものがあるが、個人レベルでのそれは優しさ。でも、実際はそんなに単純でもなく、地獄の戦地を経験した者がこの言葉を口にするときの気持ちは、経験のない者には想像が及ばぬほど複雑なものなのだろうと感じました。

監督がクリント・イーストウッド、脚本がポール・ハギスという組み合わせは「ミリオンダラー・ベイビー」と一緒で、どっちの映画も私にはちょっとばかり爺くさく、上品すぎるところがあるのだけど、ミリオンダラーよりはこっちのほうが面白かったです。

出演者の中にジェイミー・ベルやポール・ウォーカーがいたことは、映画を見ているときには気付かず、後で知った。時系列が入り組んだ映画なので、兵士の名前とそれをどの人が演じているのかを理解するまでにかなりの時間がかかったのが、少しもどかしかった。バリー・ペッパーはもっと見どころがあってもよかったのにと感じたけど、バリー・ペッパーをかっこいい英雄に見せてしまうと、この映画の趣旨がまた違ったものになってしまうので、あれで良かったんだろうね。
ライアン・フィリップ、アダム・ビーチ、ジェシー・ブラッドフォードが演じる3人の兵士は、キャラクターの違いがはっきりしているし演技も悪くないのに、なぜか見終わった後の印象がそれぞれ薄い。これも意図してのことか、それともイーストウッド監督のカラーかな。

スペクタクル!

Fi2621407_1e なんていう言葉を久々に思い出した。いやー、すごいものを見た! 昨夜のドーハでのアジア大会開会式。冒頭のほうを見逃したのが悔やまれる! 過去にオリンピックでも見たことがないほどのあっけにとられるスケール感。下からせり上がってくる金ピカ聖火台のバカでかさ!笑しかもくるくる回るし! カタールの若き王子が馬に乗って階段を一気に駆け上がり点火という演出も大胆すぎる! それをオーケストラによる中東風メロディーの音楽が盛り上げる。さらにさらに、点火の後の花火がまた、火事になるんじゃないかってくらいの規模。この豪華さは、さすがオイルマネーの国と言うべきか。アラブではお客は半端じゃなくもてなすというが、そういう精神もあるのか?

見たことない巨大なスクリーン、アジアの広さを実感させる数々の演出と、絢爛たる色使いや音楽など、中東のエキゾチックな雰囲気が最高でした! 金を湯水のように使っているのに単なる成金にはない成熟したセンスというか。選手入場もかつてない面白さで、アジア各地の打楽器を演奏する山車が混じるという構成が良かった! 結局、深夜4時過ぎまでテレビに釘付けだった。はや大会本番より閉会式が気になる…笑

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