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2006年5月

2006年5月28日 (日)

不屈の生命力

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Fi2585099_0e ああ、やっぱりそうなんですね。化け物のようにタフです、ゼラニウム…。うちのベランダの子たちも、もう15年前後は生きている。この花の若い株を買った当時は、にわか園芸熱にかかっていて、狭いベランダで20種類ぐらいの花やハーブを育てていました。軒下にハンギングバスケットをぶら下げて、ドアの外にはコニファーの植木鉢を置き……安アパートなのに。後から思うとアホです。

でも、その熱が続いたのは3年。なんとか頑張って5年……。昼間の明るい時間帯は仕事で出掛けていて、花を鑑賞する時間がなく、ハーブも実用的なのはバジルと、せいぜいローズマリーくらい。何のために育てているのかと、疑問に感じ始めたら最後です。あとは培養土の値段の高さにも参りました。一度かなり安い土を買ってきたら、中に体長2センチの甲虫のサナギがころころと交じっていて、そのときは部屋の中で新聞紙を敷いて、鉢の植え替えをやっていたものだから、それなりに衝撃でした。

ベランダに残っていた多年草の鉢も一つずつ姿を消していく中で、残ったのがゼラニウム。 虫がほとんどつかないし、真夏に2週間ほど水やりしないくらいでは、びくともしない。1年中、花を咲かせているものだから、捨てる決心がつかず、かといって育てる気もなく、たまに根負けして水をあげているというのが正直なところ。

この冬は、住居ビルの外装工事があって、鉢が一時どこかに勝手に移動させられ、戻ってきたときはホコリだらけ。そのまま1カ月くらい放っておいたら、葉がほとんど落ち、さすがにもうダメだろうと思ったのだけど、1株に小さな花のつぼみがあるのを見つけ、ためしに水をあげたら、3株ともたちまち元気になって、花をたくさんつけ始めた。
ちなみに、昨年の秋頃から肥料も切らしてしまって一度もあげていません。尊敬するよゼラニウム。いやちょっと怖いくらい。


Fi2585099_1e しぶとく生きているといえば、この雑草も。鳥の糞か何かに交じって種が運ばれてきたものだろうか。長くて切れない根を張っていて、何度ひっこ抜いても生えてくる。この雑草が黄色くなってカラカラに枯れる頃がゼラニウムの水のやりどきの目安のようになっています。


2006年5月27日 (土)

キャベツスープとチョコレート。

先週レンタルしたまま、観るのを忘れていた映画2本。危うく追加料金を課せられるところだった。

「チャーリーとチョコレート工場」(2005年 米/英)
★★★☆
ロアルド・ダールは学生の頃に、単行本を探して買うほど好きだった。でも、この映画の原作はたぶん読んでいない。実はこれが映画化されると知ったとき、子供の頃にすごくインパクトのあった別の児童書と記憶が混乱して、興味をそそられた。しかしよく考えると、その児童書のタイトルは『チョコレート戦争』だったはずで、調べてみたら日本人童話作家の大石真の作品だった。今もエクレアに接するときに、とても特別な食べ物という気がしてしまうのは、この本の影響だ。
映画はシュールさが楽しかったけど、ティム・バートンのこだわり(昔の映画へのオマージュとか)の盛り込み方が、中途半端で邪魔くさく感じてしまった。ジョニー・デップの役ももっと年配の俳優のほうが合っている気がしました。


↓こっちは今さらといえどもネタバレしてるので、先にお断り。
「バタフライ・エフェクト」(2004年 米)
★★★☆

スロットマシーンみたいに、いい目が出揃うまで人生をリセットする話。などと言ってしまうと物語の感動もへったくれもないが、見終わったあとの印象。どこかで切ない恋愛ものと書いてあったのを読んだけど、そんな感じはしなかった。
リセットする前は、幼なじみの女性の存在すら忘れかけていたように見える。リセットする理由も、彼女を救うためだけとは限らない。本来は一度だけの人生を何度もやり直せるのに、その代償が鼻血だけというのもなんとなくすっきりしない。ラストあたりの主人公は、100年分くらいの記憶をもっているはずで、精神的には老人の、脱け殻のような男になっているブラックな結末のほうが好みです。
とはいえ、いわゆるタイムトラベラーもので、 身体ごと時空を超えるのではなく、意識だけが昔の自分に乗り移るかたちで、歴史を変えてしまう設定のため、映画を観る側にはSFなのか精神を病んだ男の話なのか判然としないつくりになっていて、先の読めない面白さがありました。この手法でいろんなパロディコメディが作れそう。すぐに飽きるだろうけど。

2006年5月24日 (水)

「お言葉を返すようですが。」byリーバス

1990年に発表されたリーバス警部シリーズの2巻目がようやく文庫本で翻訳出版。原題は『Hide & Seek』。

『影と陰』イアン・ランキン著
(ハヤカワ・ミステリ文庫 2006年訳)


Fi2577499_0e ホームレスの若者たちに不法占拠されている荒んだ公営団地の一室で、麻薬中毒の青年の死体が見つかる。いったんは薬物注射の分量を誤ってのショック死で処理されそうになるが、その死体が十字架に磔になったような姿勢で横たわり、周囲にロウソクが置かれ、壁にはペンタグラムが描かれていたことから、リーバスはカルト宗教がらみの犯罪を疑う…。


最近のリーバス・シリーズと比べると、リーバスが家で聴くのは70年代ロックではなくてジャズだったりなど、そのキャラクターがまだ定まりきらず、イアン・ランキンの文も最初のほうは多少ぎこちなく感じてしまう。
でも、中盤あたりからぐんぐん面白くなってきた。地元の有力者が絡む闇の真相に切り込んでいくという小説のスタイルは今と変わりないが、このくらいの小説の長さではまだ物足りない。シリーズを重ねるにつれ、長編になっていったのは、
複雑な背景をもった社会的事件に説得力をもたせるための必然だったのだなあと納得!

のちに主要登場人物となるシボーン・クラーク刑事はまだ登場しておらず、若きブライアン・ホームズ刑事がリーバスの“靴”として活躍。このホームズとリーバスのキャラクターの対比が、小説に深みを加える。その後の巻でホームズが下した決断を知っているとますます…。
イアン・ランキンの小説の常連人物たちはホント、皆それぞれが個性的で、人間味があって魅力的!


2006年5月14日 (日)

懺悔

Fi2555175_0e もう四半世紀も前になるが、都内のあるジャズ喫茶でバイトをしていた。店の名前はそれほど有名ではなかったが、レコード枚数は都内一。東北のどこかの市にはそれを上回るレコードを置いてある店があって、全国では2番目か3番目、みたいな噂もあった。学校を卒業した時点でいったんバイトをやめたが、しばらくしたら、臨時でいいから手伝ってほしいと頼まれて、結局足かけ5年くらい通った。


オーナーは深夜の閉店間際にならないと顔を出さないので、勤務中はバイト2人、または1人でコーヒー煎れたり、レコードかけたり、レジ打ったり、トイレ掃除をしたり…。バイトを始めた頃は、まだジャズ喫茶も休日には開店間もない時間から満席になるほど客が入っていたので、トイレに行くひまが見つけられず、膀胱炎になったバイト仲間もいた。

時給は450円前後。当時のジャズ喫茶のコーヒー1杯の値段と同じ。でも、客のいない時間は、まだ聴いたことのないレコードをとっかえひっかえかけて聴く楽しみがあったし、客からのリクエストがないときは、DJ気取りでかけるレコードの順番を考えるのが楽しかった。

しかし、そんな好き放題をしていると、小生意気な私の本性が表れるまでには、それほど時間はかからなかった。バイトを初めた当初、やたらリクエストが多かったのが、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』だった。すでに新譜でもないのに、休日には3回も4回もリクエストが入る。リクエストするのは、大抵は初めて店に来るような客だ。そのうち「もううんざり! こんなナヨナヨしたソロピアノばかりかけていられるかよ!」と思い始め、日に日に「キース・ジャレット憎し」になっていった。
まずは『ケルン』のリクエストが来たら、一応レコードはかけるが、直後にのっけから思いっきりうるさいフリージャズのレコードをかける。そうすると『ケルン』をリクエストした客は、即座に席を立って帰っていく。やがてリクエスト自体も「先ほどかかったばかりですから」とウソをついて断ってみたり。そうして何人の客をがっかりさせたことか…。


今考えると、本当に申し訳ないことをした。その店はパラゴン・スピーカーを置いていた店で、遠方からわざわざパラゴンでのキース・ジャレットを聴きたくて訪れていた人もいたはずなのだ。そんな思いに当時の私はまったく無神経だった。
キース嫌いの呪縛を解いてくれたのは、83年に発売された『スタンダーズVol.1』(写真)。これを聴いて初めてキース・ジャレットもいいなと感じることができた。


5年も働いたジャズ喫茶なので、たくさんの思い出がある。おしゃべり禁止の店で、客と会話することもほとんどなかったが、ジョン・コルトレーンの『ヴィレッジヴァンガード・アゲイン』B面をリクエストする日は、なぜかズボンとパンツを脱いで露出狂に変身してしまうオヤジや、ヌイグルミを抱えてやってくる男子学生など、一風変わった常連客もいて、忘れがたい。何より忘れがたいのは、若気の至り丸出しだった自分なのだけれども…。

バイトを辞める頃には、客数は大幅に減っていた。他の硬派なジャズ喫茶もどんどん姿を消していった時代なので、私のせいではない。ついに店を閉めるとの知らせをもらったときは、客として出掛けていき、店の名前の入ったコーヒーカップとマッチを記念にもらって帰ってきた。2年前の引っ越しのときには、まだ手元にあったのに、いま必死で探しても見つからない。あのとき捨てちゃったのか…。


2006年5月13日 (土)

クラック登場前夜。

巷では“ワシントン・サーガ”と呼ばれているらしい全4作からなるハードボイルド+ノワール小説シリーズ。これはその3作目で、前作の『愚か者の誇り』からちょうど10年後、1986年のワシントンDCが舞台。

『明日への契り』ジョージ・ P・ペレケーノス著
(ハヤカワ文庫 1999年訳)


Fi2554234_0e 前作で麻薬の売人から足を洗ったディミトリ・カラスは、親友マーカス・クレイの右腕としてレコードチェーン店の経営を手伝っている。今回はそのマーカスが物語の中心人物。ある日、新たにオープンした店の前で、コカイン密売組織の一員が乗る車が炎上する事故が起き、その車から大金が盗まれるのを一人の少年が目撃。犯罪に巻き込まれるのは二度とゴメンだと思っていたマーカスだが、その少年を守るためにとった行動で、組織から目をつけられてしまう…。


時代が新しくなるに連れて、ワシントンの街のワルたちも低年齢化。今回は10代の子供たちが麻薬や銃による犯罪に手を染めたり、巻き込まれそうになったり。
シリーズ3作目ともなると、作家の持ち味がよく分かってきます。ペレケーノスの小説は犯罪を描いても、どこか青春小説に近い味わいがあり、ミステリ文庫に収められているけど、普通に小説として楽しめる。
主な登場人物それぞれが、善人部分と悪人部分の割合にほぼ応じた結末を迎えたのは予想どおりの展開。とはいえ、子供がかかわってくる話なので、親のような気持ちで始終ハラハラしながら読みました。

唯一、前作の主人公であるディミトリが、中年になっても大人になり切れたとはいえず、コカイン中毒のまま、大した活躍もなしに終わるというのは予想外だったけれども、こういうところに作家の美学らしきものが出るのだろうと思います。
ペレケーノスは、16歳のときに銃の暴発で友人に取り返しのつかない怪我を負わしてしまった過去があるという。ディミトリの自虐的(?)キャラクターには、作家自身のいまだ消えない罪の意識が反映されているのかもしれない。人間くさいといえば誉め言葉になってしまうが、ホント冴えない。いいところなし。このまま本物のダメ人間で終わってしまうのか? 次作が気になるところです。


期待していた通り、今回も音楽ネタがいっぱい!
80年代のワシントンDCといえば“ワシントン・ゴーゴー”なわけで、早々にチャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズのライブの場面が登場! 同じ夜に、市内の別の会場ではエコー&ザ・バニーメン、パンクメタルバンドのスクリームがそれぞれライブをやっており、大人が集うクラブではギル・スコット・ヘロンが出演中……といった具合。
あと、マーカスが熱狂的ファンであるNCAAバスケットボール・トーナメントの話題も多い。プロバスケすら何の知識も持たない私は、小説のラストにポカーンとなってしまったが、巻末の「訳者あとがき」に助けられました。


2006年5月 7日 (日)

5連休も終わり。

最終日は部屋の明かりまでが、いつもよりワット数が少なく感じます…。テレビのニュース番組では、空港での海外旅行帰りの人へのインタビューを、このGWは金、土、日曜日と3日連続してやっていました。大型連休のたびに、ただインタビューを流しているだけで、何の意味もなくないですか?

土曜日は友人とフィルムセンターで、新藤兼人特集の「斬る」と「偽れる盛装」を続けて観て、その後に銀座まで歩いてお茶をしました。東銀座駅の近くに格安ヘアカットの理髪店があって、店の外に若者が列を作って順番を待っていたのですが、
並んでいる一人一人がどうとかではなくて、その列全体が放っている空気が、銀座を歩いている母娘やカップルが放っているそれと明らかに違っていて、目にした途端にどよーんとした気分になりました。

思えばその時点からすでに、マンデーブルー。新しい職場に勤めて丸2カ月たち、まだ一度も遅刻欠勤していないのは、自分でもあっぱれなんですが、変な緊張感がなかなかほぐれません。このまま慣らされていくんでしょうか・・・。

あ、そうそう、連休中にHDD+DVDレコーダーを買ったのです。ついでに壊れたVHSデッキも買い直す気は起こらなかったので、VHSも一体型のやつ。機種は名の知れた国産メーカーの最低価格ランク。危惧していたより、接続や設定が簡単でした。
前に、家電の使用説明書などチラシ1枚で済ませろと書いたけど、本当にチラシが入っていて、それを読んだら、とりあえず番組録画まではすんなりとたどり着けてしまった。こっちの要望なんぞは、とっくにお見通しでしたね。

“アフロヘアで黒人歩き”に憧れた時代

『愚か者の誇り』ジョージ・P・ペレケーノス著
(ハヤカワ文庫 1999年訳)


Fi2537941_0e ワシントンDCを舞台としたギリシャ系アメリカ人ピート・カラスが主人公のハードボイルド小説『俺たちの日』。これはその続編といえる作品で、ピートに代わって、息子のディミトリ・カラスが主人公。時代は1976年に飛ぶが、ディミトリも麻薬の売人という、亡き父親と同じようなふらふらした生活を送っている。

あらすじは、ディミトリと、アフリカ系アメリカ人でレコード店を営んでいる親友のマーカス・クレイが、快楽的に人を殺すことも厭わぬ前科者のグループと麻薬取り引きの場で、行きがかり上のいざこざを起こし、命をねらわれるようになるというもの。アウトローな男たちの物語で、クライマックスの対決シーンも読ませるのだが、ペレケーノスの小説は前作もこの作品も、家族や友人同士のなにげないやりとりを描いたシーンがとてもいいです。登場する人物ほぼすべて、どんな愚か者にも、愛する家族や信頼する友人がいることを、温かい視線でもってさりげなく描いていて救いがある。


繰り返しになるけど、舞台は1970年代半ばのチョコレート・シティ! この小説の魅力はもう一つ。ブラック・パワーの余韻残る1970年代のアメリカ若者文化を、当時の音楽、映画、テレビドラマ、バスケットボールの選手など具体名をてんこ盛りに用いて描いているところ! 特に当時のソウルやロックが好きな人にはたまらないです! 
小説の扉からカーティス・メイフィールドの「バック・トゥ・ザ・ワールド」からの詞の引用。なにせ準主人公であるマーカスはレコード店のオーナー。その店には、オーナーがジミヘンのレコードをロックコーナーH棚のハートハンブル・パイの間に置いても、必ずソウルコーナーに移してしまう若い黒人店員がいて、いつもどおり2人で揉めているところへ出社してきたもう一人の店員が、興奮気味に昨日見た7時間に及ぶPファンク一派のコンサートについて話し出したりする。これではまるで、ニック・ホーンビィ著『ハイ・フィデリティ』のハードボイルド版?

一方で主人公のディミトリは、女性と部屋でキャプテン・ビーフハートを聴いたりするマニアックなロック好きなんです。愛車カルマンギアでドライブ中、「モット・ザ・フープルなんぞは聴きたくない、何かずっしりくるやつを頼むよ」とのマーカスの要望に応え、ロビン・トロワー(懐かしい)のカセットテープをかけたり。
シャイ・ライツをチー・ライツと訳すなど、何カ所か一般的な邦名との違いが気になったけど、誤訳というわけではないからね…。あと、例えば「……だがこのテープでは、カーティスのヴォーカルが別の黒人シンガーの声におき換えられ、エディ・リヴァート風に延々とリズムが刻まれていた。……」という文は「エディ・リヴァート風の黒人シンガー」と訳すのが正しいと思うけど。


原題は「King Sukerman」。小説に登場する不良少年たちがこぞって関心を寄せる架空のブラックムービーのタイトルが「キング・サッカーマン」で、小説の中で描かれる映画の内容が、小説の最終章あたりで大きな余韻を残す効果を発揮するわけだけど、邦題を『愚か者の誇り』としてしまうと、なんだか違和感があります。


2006年5月 5日 (金)

私家版・魅惑のエロヴォイス その22

「featuring」という英語を知ったのは、ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーンが最初。その次がメイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリーかな。1970年代半ばにデビューし、今も現役のソウルバンドです。

Maze featuring Frankie Beverlyの“Can't Get Over You”


Fi2532690_0e 1989年のアルバム『Silky Soul』からの曲。どうしても枯れた曲を選んでしまうのが癖! でもこの曲も切なくていいよ。細かいビブラートをきかせて歌うフランキー・ビヴァリーのボーカルのじんわりと伝わってくる“温かさ”が最高です。70年代から80年代にかけてバンドのサウンドは移り変わっても、フランキーの声を聴けば、いつもと変わらぬ温もりに、ファンはほっとしているのではなかろうか。

彼らの有名曲といえば、このアルバムのタイトルにもなっているマーヴィン・ゲイに捧げた「シルキー・ソウル」もそうだけど、それ以前では「ジョイ・アンド・ペイン」「バック・イン・ストライド」辺りか?
アルバム『Live In New Orleans』で最初に彼らを聴いたときは、なんて品のあるバンドなんだと思ったりしたけど、それはフランキーのボーカルから受ける印象で、実は決して乱れることのないしたたかなリズム隊が、ファンキーなライブバンドというもう一つの個性を形成していたりする。

意外と知名度の低いメイズ。『Silky Soul』から聴いてしまうと、ソウルバンドとしての魅力は伝わりにくいのではないかと思う。ブラックミュージック好きがとりあえず1枚アルバムを買うとしたら同じライブでも『Live In Los Angeles』のほうかなと思っているんだけど、そう言いながら自分も持っていないのだ。
今になって無性に欲しくなってきた・・・注文しよーっと。


悪魔と取り引きしたツケは重い。

ジョン・リーバス警部シリーズ13作目。

『甦る男』イアン・ランキン著
(ハヤカワ・ミステリ 2003年邦訳)


Fi2532084_0e 冒頭、なぜか警察官再教育施設に放り込まれているリーバス警部。捜査会議で上司のジル・テンプラーにマグカップを投げつけたことが原因らしい。その行いはあまりリーバスらしくないなと思ったら、案の定、別の署の刑事の不正を内密に調査するために、本部長から直々の依頼を受けて計画された行為だった…。


一緒に再教育施設に集められた不良刑事はリーバスを含め6人。この中に問題の刑事がいて、最後はリーバスがその不正の証拠を見つけだし、めでたしめでたし・・・てな単純な話で終わらないのがランキン! 再教育施設で教官から課題として出された未解決事件というのが、リーバス自身が過去に携わり後ろ暗く感じている事件で、不正を調査されているのはどっちなのか?という展開になるんだな。

一方で、セント・レナーズ署では、このシリーズのもう一人の主役に成長したシボーン・クラーク部長刑事(刑事から部長刑事に出世)が、美術商殺し事件に取り組む。その捜査方法はますますリーバスに似てきたけれど、男性の同僚たちのやりとりにはそれなりに気を遣わざるを得ない。事件の調査で協力を依頼した別署の担当者が、たまたま同じ女性の部長刑事だったときの安堵感、同志を見つけたみたいなウキウキ感は、読んでいてこっちまで楽しくなったよ。

シリーズのもう一人のキーマンは、エジンバラの陰の大ボス、ビッグ・ジェル・カファティ。今回もいろんな事件の背景に、カファティの存在がちらつく。リーバスとカファティの最終対決の日は来るのかな?

この作品でイアン・ランキンは2004年のMWA最優秀長編賞も受賞している。桐野夏生が『OUT』で最終候補にまで残った同じ年の、同じカテゴリーになるのかな。あとがきによると、ランキンの小説はイギリスではスティーヴン・キングやジョン・グリシャムの作品よりよく売れているという。本当に読み応えがあって面白い。でもこんな小説がベストセラーになるのはイギリスならではだろうとも思う。
未邦訳だったリーバス・シリーズの1巻から6巻までは、昨年から文庫での刊行が始まっており、先月2巻目の『影と陰』が発売されたばかり。

2006年5月 4日 (木)

死体捜索犬が活躍

『骨』ジャン・バーク著
(講談社文庫 2002年訳)


Fi2530527_0e 10代の少女から失踪した母親探しを手伝ってほしいと頼まれた新聞記者のアイリーン。手がかりはなくそのまま迷宮入りと思われたが、4年後、捕まった連続殺人鬼がその女性も殺害したことを自白し、シエラ・ネバダ山中での遺体発掘隊にアイリーンも同行を許される。しかし、その山での捜索は殺人鬼が仕組んだ罠だった…。


女性新聞記者アイリーン・ケリー・シリーズの7作目で、2000年のMWA最優秀長編賞(エドガー賞)受賞作。
人間の遺体の腐敗臭を感知する特殊な訓練を受けた捜索犬ビングルが大活躍。小説の内容も前半(上巻)は「におい」が重要なキーとなり、吐き気を催すような不気味な展開で、なかなか面白い前半。
でも、後半(下巻)の、町に戻ってからの展開は、シリーズの常連が何人か登場し、話がいろいろに逸れるうえに、知能犯と思われた殺人鬼が思ったほど頭が良くなく、主人公アイリーンの運の良さだけで切り抜けてしまった感がある。
ま、主人公の運が悪ければ話はなりたたないわけで、この小説のどこに文句があるかというと、結局は自分がハリウッド映画からそのまま抜け出してきたようなアイリーンのキャラがあまり好きになれなかったってことに尽きるかも・・・。
連続殺人鬼には実は共謀犯がいるのだが、その共謀犯あぶり出しの過程も見え見えで、なんだか白けた気分で読み終わった。

動物の腐敗臭というのは、子供の頃に一度だけ嗅いだ。しばらくはいろんなにおいが、その悪臭を思い出させ、気になってあちこちをクンクン嗅ぎ回っていた覚えがある。一度嗅いだら一生忘れないにおい。この小説の中にも、悪臭を避けようとしてメントールなどの芳香付きのにおい消しを使うと、今度はメントールのにおいを嗅ぐたびに、その悪臭を思い出すという表現が出てくる。
人によっては、金木犀の香りからトイレの芳香剤を思い出したり、ココナツの香りからコパトーンを思い出したりするらしいから、やっかいなものだ。


ドン・ジョンソンとは一字違い。

新宿武蔵野館はまたしても激混み。

「ブロークン・フラワーズ」(2005年 米)
★★★☆

Fi2528910_0e 主人公は、コンピュータの仕事で突然金持ちになって以来、隠居同様の生活を送っている独身中年男ドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)。しかし、ある日「実はあなたには19歳になる息子がいる」との差し出し人不明の手紙が舞い込んで、お節介な隣人ウィンストン(ジェフリー・ライト)に背中を押されるように、元恋人たちを訪ねる旅に出る…。というのがあらすじ。テレビでも盛んに宣伝してる。


【以下ネタバレ】
成金らしい立派な家と家具に囲まれ、上下お揃いのジャージ姿で、昼間からテレビばかりを見ている脱け殻のような男が、その昔は女たらしのドン・ファンだったという話で。
見知らぬ我が子の存在を突然知らされ、誰かのイタズラかと疑いつつ、無視したくてもできないオロオロぶりは、女から見ると滑稽です。しかし、昔の恋人に会うごとにどんどん膨れあがり、雨の中の墓参りでついに抑えきれなくなる中年の感傷ってやつは理解できるつもり。ビル・マーレイのとぼけた持ち味がそのまま生かされていたと思います。でも、この役柄にこのキャストは新鮮みには欠けていたせいか、もっぱら脇の人たちのほうに興味が行ってしまいました。

主人公と対照的な人生を歩んでいるお節介な隣人ウィンストンの子だくさん家族が実に幸せそうで、ほのぼのとしてて良かったわ。で、ウィンストンがなぜか“エチオピア・フリーク”という設定が面白い。
あとは、高級プレハブ住宅販売の不動産業を営んでいる元恋人とその夫。なんだあの変態っぽい夫婦は!(笑) あまり幸せじゃなさそうな感じは伝わってくるが、その理由をいろいろ想像しちゃって、最高に可笑しいシーンだったよ。
しかし、映画ラストのうやむやさ加減はどうなの? 監督がはぐらかしの多いジム・ジャームッシュと分かっていても物足りさが残る。もっと分かりやすいオチで締めて欲しかったですよ。

隣人ウィンストンから、旅のお供にと渡されるCDの音楽が、ホレス・シルバーの「ソング・フォー・マイ・ファーザー」を情けなくしたようなアレンジの曲だったのは意図的かな? 「父の歌」というのは映画のテーマに合っているしね。
最近ますますロードムービーが好きになってきた気がする。移り変わる景色を見ているだけで楽しい。なぜかしらと考え、仕事で地方出張することがなくなってしまったせいだと気づき、映画と関係のないところで切なくなる。旅行したいなあ・・・。


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