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2006年3月

2006年3月29日 (水)

大自然の中に二人きり

日曜日に新宿武蔵野館。公開しているところが少なく激混みだった。春休みの映画館はアニメなど子供向けムービーに占領されていて、大人を無視したこの事態は異常だ。

「ブロークバック・マウンテン」(2005年 米)
★★★★☆


以下、若干ネタバレしてます。

Fi2434945_0e 映画を見終わってから、ずいぶん前に、連城三紀彦の短編集を読んでボロ泣きしたときの感覚を思い出した。 目を潤ませたイニスの顔がなんとも…。同性愛の物語だけれど、不倫にも、思いがすれ違って煮え切らずに終わった恋にも共通する、成就しがたい恋の切なさが、ラストのほうでどっと押し寄せる。
成就しなかったゆえに、人生における、もしかしたら唯一の、宝石のような出来事として記憶に残ることもあるのかな? それだけでも人間は十分に生きていけるものじゃないだろうか?
なーんて言うと、暗いとか淋しすぎるとか思われがちだけど、本人にしてみれば決してそんなことはなく…。

原作はE・アニー・プルーの短編小説。プルーは『港湾ニュース』(集英社刊)がとても面白かった。あっちはニューファンドランド、こっちはワイオミング州の山岳地帯の厳しい自然と、慎ましやかでどこか不器用な人間を描いていて、こっちの原作は未読ながら、プルーの小説の中の世界が映画の中にもしっかりと生かされていそうな気がする。文芸作品とアン・リー監督は相性が良さそうだよ。

あ、そうそう、一緒に映画を観た人たちと、その後で飲みに行って、ジャックの最期の真相はどっちなんだろうという話になって、私は、イニスはジャックに対するそれまでの自分の態度を悔いて、あんな想像をしてしまったんじゃないの?などと言ってしまったけど、後になって、あれが真実のような気もしてきた。どっちなんだろうねぇ。

2006年3月27日 (月)

ヤングな時代

昨日の深夜「NHKアーカイブ」で、1974年3月に放送された「ステージ101」の最終回をまるまる放送していた。オーディションで選ばれた20代前半の男女40数名による、足かけ5年にわたって放送された歌番組。軽い気持ちで見始めたら、これが、やばいのなんのって。あそこにも、ここにも見覚えのある顔。半端じゃなく懐かしくて、食い入るように見るうちに、だんだん興奮してくるしまつ。

特にワカ&ヒロ、チャープス……いたいた! けっこうアイドルしてたと思うけど、こっぱずかしいんだかカッコイイんだか、もう冷静に判断できない。いや、当時から十分こっぱずかしかったはずだ。あの頃、この番組を毎週見ていた人間はどれほどいるだろうか。私は歌番組なら何でも見ていたけども、当時、同級生とこの番組を話題にした覚えがない。だから余計に懐かしい。反芻されない記憶ほど懐かしい。
もちろんファンションや髪型、化粧なんかも、ヒッピーの名残をとどめるあの時代そのものだ。みんな、今の若者より大人びて見える。

そうこうしているうちに番組は、ビートルズ、サイモン&ガーファンクルの曲のメロディーに続いてラスト1曲。メンバー全員が歌って踊っての「涙をこえて」(中村八大作曲)! フィフス・ディメンションの“Up Up And Away”を彷彿とさせる名曲だわねーこれ。ちょっとばかしうるっときた。

2006年3月26日 (日)

硫酸ベイビー。

『サイレント・ジョー』T・ジェファーソン・パーカー著
(ハヤカワ文庫 2002年邦訳)

Fi2424358_0e 赤ん坊のとき、父親から硫酸をかけられ顔に大火傷を負ったジョーは、施設にいるところを政界の実力者ウィル夫妻に引き取られる。それから約20年後、大人になったジョーは保安官補として働きながら、養父ウィルのボディガードのような役目も務めている。しかし、知り合いの娘の誘拐事件で、ウィルがその身代金受け渡しの役目を買って出て、娘を保護した直後、ウィルはジョーの目の前でギャングらしき一団に射殺されてしまう…。


2002年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞受賞作。さらに週間文春ミステリーベスト10では第1位、このミスでは第2位。だけど、そんなに面白いかな、これ。“硫酸ベイビー”と呼ばれる主人公ジョーの心境が丁寧に描かれている点が評価されたんだろうか。

もの静かで、言葉遣いも極めて紳士的なジョー。しかし、その人間的魅力はいまいち伝わってこない。もっと人間臭さを露わにしたほうが、読者受けはいいのではないか。まるで図体だけは大きい無垢な子供みたい。物語の核になっている事件、すなわち心から信頼し尊敬していた養父が殺されたことによるジョーの悲しみ、犯人に対する憎しみと、幼少の頃から引きずっているジョー自身のトラウマが、うまく絡まっていない気もする。
そもそも顔半分に醜い傷跡がある必要性はあるのかな? 惚れた女性も、高価な贈り物攻撃だけであっさり落ちてしまうんだからさ。…これを言ってしまうと元も子もないわね。続編があれば、主人公ジョーの外見上の個性ももっと生きてくるかもしれない。
事件解決もなんだかあっさりしてた。政界などの実力者が何人も関わってくる事件なのだから、捜査チーム内部にも真相究明を妨害する人がいるとか、頭の固い人がいるとか、もっと障害がないとつまんない。推理ものとして読むとかなり物足りない。唯一、ラストのほうで思いがけず明らかになるジョーの出生の秘密が余韻として残った。これも途中でうすうす気付いてしまうんだけどね。

2006年3月25日 (土)

聖也さん語録。

ドラマ「夜王」が昨日で終わり。北村一輝が目当てだけで見始めたので、正直つまらない回のほうが多かった。しかし、最終回は登場する主なキャスト全員に見せ場がちゃんと設けてあり、チームワークによる勧善懲悪路線で、うまくまとめてたと思います。最終回がいちばん愉快でした。
聖也さんがロミオの永久ナンバーワンのようなかたちで終えたのも良かった。蓮、大河、光という聖也派ホスト3人の人間性がようやく見えたと思ったら終わりか……と少し名残惜しい気持ちもあるけど、続編はあまり見たくないです。主役を別の人に置き換えた番外編なら、ほとぼりが冷めた頃にあってもよいです。あと、ロミオのホスト全員と歌舞伎町四天王まで敵に回した杉本彩がすばらしくハマリでした。聖也に劣らず漫画チック、かつかなりのオトコ顔。

記憶に残ったのは、一連の聖也さん語録とその該当シーンです。
「僕のロミオですよ」
「ホストはホストの技で勝負しろ」(実は硬派)
「ロミオの看板背負ってますから」(遼介、誰それ?)
「たった一つの掟も守れないお前ごときが、トップになれると思うな」
「金をつかめないやつが俺についてくる資格はない」
「僕ならセックス以上に素敵な夢を見せてさしあげます」(落とし文句その1)
「気安く触るな」
「ホストを舐めるな」
「やっとここまで上がってきたな。喜べ。圧倒的な強さでお前に勝ってやる」(まだまだ余裕)
「お前のその甘さが通用すると思うか」
「むしろ喜んでいますよ。僕の隠していた牙が」(ヒョウ柄だからね)
「俺からの手切れ金だ」(Cool!)
「どこまでだったら許してくれる?」(落とし文句その2)
「俺はロミオが手に入ればそれだけでいい」
「勝手にいなくなるな」(アニキー!)
「俺を敵に回してこの街で生きていけると思うな。…やってみるか?」
「勝ちたいヤツはついてこい」(負ける気がしねー!)etc.

ほかの人たちもいろいろ決めゼリフを言ってたけど、やっぱり歯の浮くようなセリフでは北村がダントツでサマになっておりました。4月からも、6月からもドラマ出演が決まっているのですね。しかし、どちらもまたヒール役。それにちょっと出すぎかなあとも思う。贅沢だけど、ありがたみが薄れる気もして……。困ったものだ。それより飽きちゃうのがいちばん怖いんだけどね。


2006年3月20日 (月)

いまさら。

流行の歌謡曲のたぐいにはまったく疎い。以前、ハマサキアユミが売れた理由はちょっと分からなかったけれど、コウダクミが売れる理由は分かる気がする。私くらいの年齢にも訴える声質だ。でも、すでにメロディが覚えられない。複雑すぎる。最近よく流れている曲を、頭の中で再生してみようとすると、“Everything Happens To Me”に変わっている。サビの出だし2小節くらいしか共通点はないのに…。

金曜日の深夜にテレビのチャンネルを変えたら、トータス松本とスガシカオと田島貴男と斉藤和義の4人が、それぞれギターとベースを手に、ウルフルズの「バンザイ」を歌っていて、ジョイントはたった1曲だったけれども、ライブ演奏を久々に見たせいもあって、けっこう良かった。このメンバーの中では田島貴男の声質と歌い方がいちばん好きだ。

持ってるCDに、日本人のものは数えるほどしかないのだけど、オリジナル・ラブとスチャダラパーだけは複数枚持っている。つまりその時代で止まってしまっているということ、だ。

2006年3月19日 (日)

立派なテレビ中毒なのだけど。

スカパーが突然受信できなくなって、考えてみたら半年以上。アンテナの角度を変えてみようとしたら、ネジが錆びついていて動かない。だからきっとアンテナのせいではない。アンテナ方向に新しいビルが建った気配もない。いまだ原因が突き止められないまま、基本料金だけは毎月引き落とされている。早く解約しちゃえばいいのに、最近無性に映画専門チャンネルが見たくなってあきらめきれずにいる。

こんなことで悩んでいるのは、地上波テレビがあまりにつまらないから。とくに夜の7時台、8時台の民放は壊滅状態と言っていい。昔みたいにアニメでも特撮でもやってくれていたほうがうれしい。休日の昼間のテレビ番組が自局の番組宣伝ばかりなのも呆れる。やることがなかったらマイナースポーツでも中継してあげればいいのに。

昨日ニュースで見たけど、ワンセグ放送というのが開始され、これからは携帯などのモバイル機器で、いつでもどこでもテレビが見られるようになるとか。でもしばらくは地上波テレビと同じ内容らしい。家に居たって見たい番組がないのに、そんなもの…。

移動中にわざわざオンタイムで見るメリットがあるのはスポーツ中継ぐらい。それだけでも需要は十分あるのかもしれないけど、CM本数やつまらないタイアップ番組が今以上に増えるかもしれないし、第一、朝の通勤電車などで、いくつもの携帯のチラチラする画面が視界に飛び込んでくることを想像しただけでうんざりだよー。

USENがやっている無料のネットテレビ「GyaO」というのがあるけど、これはうちのパソコンでは見られない。ライブドアを買うお金があったら、早くMacにも対応してほしいです。

世界はいかれたやつらでいっぱいだ。

2週間ぶり。もっとさくさく更新したいけど、書く余裕がない。休職中に自由時間の効率的な使い方を忘れてしまったみたい。身の回りで起きたことといえば、3年ぶりに携帯を変えた、ドブロガーさんの一人に直接お会いした、ガスのブレーカーが落ちて何が起きたか分からずに焦った、9センチヒールを履いていて1日に3回転びそうになった、といったところか…。

『真夜中への挨拶』レジナルド・ヒル著
(ハヤカワ・ミステリ 2006年刊)

Fi2406353_1e 骨董店を経営する男が密室で自殺を図る。その方法は10年前に彼の父親が自殺をしたのとまったく同じ手段、同じ場所であったことから、パスコー主任警部はその動機に興味を持つ。さらに、10年前の自殺の捜査に携わった上司のダルジール警視が、今回はさっさと自殺として処理したがる様子を見て、事件性の疑いすら抱きはじめたパスコーは、密かに周辺人物を調べ始める…。

ダルジール警視シリーズの最新作。ヒルは1作とてありきたりなミステリーに終わらない。今回は「藪の中」のような告白の手法も取り入れ、相変わらず凝ってる!面白い。でも、スパイ小説のような側面があって、私の頭ではちょっと追いついていけない部分もあった。
冒頭は1991年の湾岸戦争時のイラク・バクダット周辺、ラストは2003年のアメリカ統治下のイラクでのエピソードで締めくくられる。これがイギリス・ヨークシャー州が舞台の本編とどう繋がっているのか、いまいち理解できない。誰かに解説してほしいくらいだ。ダルジールも骨抜きにしてしまうほどのミステリアスなアメリカ人美女、ケイ・カフカの淫らな性癖とやらも気になる(笑)。

原題の「Good Morning, Midnight」はエミリー・ディキンソンの詩の一行で、彼女の詩はストーリーにも絡んできてたびたび引用される。悲しみよこんにちは、みたいなニュアンスかな。


2006年3月 5日 (日)

再就職

ご心配いただいた知人もここを見てるので一応報告しておかなければ。

新しい職場はなかなか快適です。自分に見合った就職先を見つけることができたようです。いろんな面で長く務めた前職場に似ていて、違和感がありません。
初日からガンガン仕事が入ったけれど、いいものですね、仕事を任されるのって。なんかもう久々に労働って楽しい!と思いました。この新鮮な気持ちが長続きすることを祈りたいです。
当面の課題は遅刻をしないことです。休んでいる間に昼夜の生活が逆転してしまったもので、疲れていても深夜4時過ぎまでは寝付けません。そのせいでこの土曜日は10時間以上、途中目覚めることなく爆睡しました。こんなことやってるから、ますます体内時計が元に戻らないわけですが。しばらくはブログより、早寝の習慣づけが優先です。


ついでに最近読んだ本。

『煙か土か食い物か』舞城王太郎著
(講談社文庫)

Fi2366341_1e 著者の2001年のデビュー作。
個性的な文体らしいけど、文章そのものは難解ではない。アメリカのサンディエゴで救命外科医をしている主人公が、連続主婦殴打生き埋め事件に母親が巻き込まれたとの知らせを受けて、故郷の福井に帰ってくる…。このあたりの冒頭の展開は突拍子もなくて、面白い。主人公の兄弟たちが、主人公を含めいずれも人並み外れた能力の持ち主であるという設定も、「ありえねー」とか思いつつ痛快。
でも途中の、行方不明の次男に関する長い回想シーンあたりから、スーパーハイテンションなノリが削がれてしまった気がするのだけど…。荒唐無稽な娯楽小説を期待したのに、実は割とありがちな私小説だった、みたいな。ミステリーなのか、複雑な親子愛の物語なのか、どっちかはっきりして!
とミステリー好きな私は思ってしまうけど、たぶんミステリーではありません。謎解きもほとんどこじつけなので。では、もう一方の個人的な小説の部分で、何か心に引っかかるものがあるかというとこれもなかった。 余韻も残らなかった。読書に何を求めるかは人それぞれだろうけど、私が欲するものではなかった。


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